国語の教科書15

 大江健三郎の「厳粛な綱渡り」は、いまでは講談社文芸文庫にはいっていますが、
元版は文藝春秋社でありまして、ずいぶんと大部のものでした。商品の検索をかけ
ますと元版がアマゾンの古本でヒットしました。驚くほどの価格であります。
この本は、その後にでた「持続する志」と「鯨の死滅する日」で文春三部作のように
なっていたように思います。このあと文芸春秋社とはたもとをわかって一切寄稿も
増刷にも応じていないはずですが、これは何が原因であったでしょう。(途中から
大江健三郎と、こちらもすこし疎遠になっていますので、記憶違いかもしれません。)

厳粛な綱渡り―全エッセイ集 (1965年)

厳粛な綱渡り―全エッセイ集 (1965年)

 60年代の初め頃までは、大江健三郎石原慎太郎江藤淳が同席して、互いに
違和感は感じていたのかもしれませんが、一つの目的のために動くというような
ことがあったというのが信じられないことです。ほぼ同世代で、それぞれがプライド
高く、他の二人からすると大江などは、いかにも田舎の秀才のように見えたのかも
知れません。
「 新制中学生のぼくが生まれて初めて村の本屋に注文して買ったのが、岩波文庫
カラマーゾフの兄弟』と、渋で和紙を強化した表紙の背に、大ぶりの活字を金で
押した(とおぼえている)花田清輝『復興期の精神』だった。それはともに社会科兼
農業科の教師に勧められたものだ。その後、ぼくは『復興期の精神』の著者と同席した
ことがあるが、このことは、自分だけの恥ずかしい秘密のように黙っていた。十四歳
のとき、あなたの本に夢中でした、などとは言えはしない。しかし、ぼくはこの博学
な著者を、実に長い間畏敬していたのだった。」
 十四歳の中学生に「復興期の精神」を勧めるというのが、いかにも時代であります。
これを夢中になって読んだ十四歳というのは、当方のまわりではきかないたぐいの
話しです。
 この筑摩書房「現代国語」3年教科書では、大江健三郎の「戦後文学をどう受け
とめたか」は、小林秀雄の「無常ということ」とならべて掲載されています。
大江は、大学にはいってから「渡辺一夫」に師事し、サルトルを卒論のテーマに
するのですが、高校時代のアイドルは、石川淳小林秀雄であったと。この文章の
なかにありました。
「 この時期に、ぼくが友人たちと読みふけった小説は石川淳だったこともまた、
複雑な感慨とともに思い出す。ぼくらは・・戦後少年の冒険を描いたいかす小説と
して、石川淳の戦後の作品をすべてを読んだのだった。この敬愛するというより
畏怖すること激しい文学者に対して、告発したことはなかった。そして、このような
時期ずっと、ぼくはそのころ刊行されはじめ、やがて完結した、『小林秀雄全集』を、
徹底して一ページももらさず、すなおに読んでいた。」
 大江が小林秀雄を徹底して読んでいたことについてのくだりは、頭に全く残って
おりませんでした。