「山川方夫全集」冬樹社刊

 冬樹社という出版社は、いつころからあったのかわかりませんせんが、いまは
廃業してしまっているとのことです。
 小生が、この会社の出版物に興味をもった最初は、山川方夫全集をだしたことに
よってです。いまほど、冬樹社で検索をかけてみましたら、この山川方夫全集の
内容見本についてを画像で掲載して、それにある推薦文を検討しているページに
いきあたりました。ここに画像がある内容見本は、小生のコレクションにもあったと
さがしてみましたら、A3をふたつにおりにした見本がでてきました。
 内容見本によると、この全集は山川さんが交通事故でなくなった4年後の69年5月
に第一回配本をすることになっています。65年に35歳でなくなった山川さんは、
決して読者が多い作家ではなかったように思いますから、このように全集がまとめ
られるにいたったのには、江藤淳坂上弘といった「三田文学」のメンバーが尽力
したに違いありません。
 小生が、この内容見本を入手したのは、当時住んでいた田舎町の小さな本屋で
ありましたので、その昔には、あのようなところまで、内容見本が配布されていた
ということでしょうか。高校生であった小生が、山川さんの名前をしっていたという
こと自体、不思議であるのですが、別に小生が文芸誌で作品を読んで興味をもった
なんて話ではなく、小生が住んでいたところで撮影されたテレビドラマの脚本家と
して名前を知ったのでした。
 小生が全校生徒20数名という僻地の小学校の6年生の時に、地元のテレビ局が
芸術祭参加作品のロケーションをするということで、エキストラ募集とか、子役の
カメラテストなどが行われました。小生もいちおうスナップをとられて、東京からの
子役俳優の学友候補となったのですが、これはあえなく落選して、小学低学年で
あった小生の弟がちょい役で出演することになりました。いまから45年も昔の
ことです。
 このドラマは、主演は寅さんになるずっと前の渥美清でしたが、北海道で強制労働に
従事し、そこからのがれて山の中に隠れて住んでいた「劉連仁」さんをモデルとした
作品でした。どういうつながりで、山川さんが脚本を書くようになったのかは、
わかりませんが、山川さんのお姉さんのご主人が、そのまちの大学教員であったと
いうことも縁になったのかもしれません。
 この作品のロケ中には、作者である山川さんもいらしたということですが、
小生の記憶には、山川さんを目撃した記憶はありません。
とにかく、山中の開拓地でありまして、当時は娯楽が多くはありませんでしたので、
ロケがあったあいだは、毎日がお祭りのような感じでありました。
 この全集内容見本を見てみますと、第4巻に放送台本として「不知道」という作品が
あって、第5巻のエッセイには、「りゅうれんじんについて」というのがあります。
 この全集が完結して数年後となってから、古本屋で、この全集を入手したのですが、
真っ先に開いたのは、放送台本のところで、小生の弟が登場した場面の確認を行い、
役名などもチェックをしたのでありました。