今福将雄さん追悼

 本日の新聞に今福将雄(元は正雄)さんの訃報がのっていました。
 亡くなったのは5月27日とのことで、すでに葬儀は終了とのことです。ご冥福を
祈りいたします。
 今福正雄さんは、当方の亡父とほぼ同年(半年ほど父が上)で、ともに小柄、風采
があがらないという共通点(?)があり、さらに個人的な思いも重なって、とても
他人とは思えない役者さんでありました。
 当方が今福正雄さんという役者さんのことを知ったのは、小6の時でありました。
それについては、以前も記したことがありますが、またあらためてであります。
( http://d.hatena.ne.jp/vzf12576/20140131 )
 今福さんに直接関係部分だけを、以下にはりつけてみます。
「今福さんは、今から50年以上も昔、当方が住んでいた開拓地でロケがあった渥美清
さん主演のドラマの出演者でした。分教場の教員というのが今福さんが演じた役です
が、この生徒役には、当方と同じ小学校のこどもたちがエキストラで出演していまし
た。
 今福さんは役のための衣装を現地調達されたのですが、当時40代であった亡父の
カーディガンがいいだろうということで、これを着用して撮影となりました。
当方の亡父とはほぼ同年でありまして、わが家族にとって今福将雄さんは、特別な
役者さんであります。」
 このドラマは、山川方夫さんに関連したところでふれていました。
( http://d.hatena.ne.jp/vzf12576/20071127 )
「小生が全校生徒20数名という僻地の小学校の6年生の時に、地元のテレビ局が
芸術祭参加作品のロケーションをするということで、エキストラ募集とか、子役の
カメラテストなどが行われました。小生もいちおうスナップをとられて、東京から
の子役俳優の学友候補となったのですが、これはあえなく落選して、小学低学年で
あった小生の弟がちょい役で出演することになりました。いまから45年も昔の
ことです。
 このドラマは、主演は寅さんになるずっと前の渥美清でしたが、北海道で強制労働
に従事し、そこからのがれて山の中に隠れて住んでいた「劉連仁」さんをモデルと
した作品でした。どういうつながりで、山川さんが脚本を書くようになったのかは、
わかりませんが、山川さんのお姉さんのご主人が、そのまちの大学教員であったと
いうことも縁になったのかもしれません。
 この作品のロケ中には、作者である山川さんもいらしたということですが、
小生の記憶には、山川さんを目撃した記憶はありません。
とにかく、山中の開拓地でありまして、当時は娯楽が多くはありませんでしたので、
ロケがあったあいだは、毎日がお祭りのような感じでありました。」
 このドラマは1962年 北海道放送が芸術祭参加ドラマとして制作した「不知道」
で、脚本は山川方夫さん、演出は北海道放送の守分 寿男さん、主演 渥美清さん、
助演 今福正雄さんでありました。 
 このとき、山川さん32歳、守分さん28歳、渥美さん34歳、今福さん41歳でありま
した。テレビというメディアが若かった1962年であります。
山川さんは小説家としてこれからさらに飛躍というという時期で、守分さんは、
地方テレビ局のかけだしディレクター(その後、うちのホンカンで有名となり)、
渥美さんが寅さんとなるのは7年もあとのことです。
 今福さんはといえば、NHK福岡放送劇団に所属していたとのことですが、まったく
無名の役者さんでありました。今福さんのウィキペディアには、1962年にNHK
ドラマにでていることになりますが、これが最初のテレビドラマとすれば、それに
続いての作品が、この「不知道」でなるのですが、北海道だけでの放送であったこ
ともあってか、渥美清さんの出演リストにも今福さんのリストにもないというの
が、残念なことです。