当方のところは、ここ何日か誰か彼かのお誕生日ということになりです。
毎日、お祝いのメッセージが飛び交うことになって、めでたい限りです。
二月生まれはいいですよと、自賛でありますが、もちろん二月にひどいことに
なった方もいることであります。
本日、2月19日といいますと、この場では過去にも話題にしているので
ありますが、次のようなことがありました。
今月に刊行となったちくま文庫の新刊から、まずはそこのところを引用して
みます。
「山川方夫重体の知らせを、私はユナイト映画宣伝部の電話できいた。
江藤(淳)夫人から私の家へ、家から私に、という順できたのだ。二月十九日の
夕方、私はある仕事の序の部分を終えて私的な休日をたのしんでいたのである。
夜八時近く、二宮の大磯病院の玄関に入ると、東和映画の小池氏が亡霊のように
立っていた。容体をきくと、いつもの事務的な口調で、
『むずかしいんだ』
と答えたが、うつろな眼は外の闇を見ていた。」
この文章が掲載されたのは、「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」
の1965年5月で、筆者は小林信彦さんです。この文章が収録されているの
は、ちくま文庫「長くて短い一年」でありました。日下三蔵さんの編集が素晴ら
しいことです。
この文庫が、行きつけの本屋に入荷したであろうと思われる日に行ってみまし
たら、他のものはあるのに、この一冊だけが売れて姿を消していました。そうい
えば、12月にでた山川方夫のちくま文庫も、行きつけの店では売れていたのを
思いだしました。この店には、ほかにも山川方夫さんのファンがいるのでありま
すね。どんな人なのだろうと思うことです。
ということで、当方のなかでは2月19日というのは、山川方夫さんが交通
事故にあった日ということになります。亡くなったのは、その翌日でした。
当方は、ひょんなことから小学生の時に、山川方夫さんの存在を知りました
ので、事故にあって亡くなったという報道も、その時に目にしておりました。
当方にとっては、山川方夫さんは特別の作家さんなのですよ。