「髭のない猫」2

 昨日に「髭のない猫」の絵を話題にしてから、2年ほど前にTV東京で放送した
美の巨人たちの」の「長谷川りん二郎」の回をVTR録画していたものを見ており
ました。この番組を制作するにあたっての資料は、岩崎美術館からでた「夢人館」
シリーズにはいっている1冊と、洲之内さんの「気まぐれ美術館」であります。
 番組に登場してきたのは、長谷川夫人、評論家 瀬木慎一、長谷川さんのファンを
代表して大コレクターの岩井宏方さんでした。
 この番組では、当時95歳となっていた長谷川りん二郎夫人に取材をしているので
すが、これによっていままで表にでてこなかった資料が発掘されたようです。
このなかから、番組ではりん二郎さんの手になる「タローの思い出」という48枚の
未発表の原稿を紹介していました。「タロー」というのは、「髭のない猫」のモデルで
ありますが、この猫との交流を綴ったものであります。
 万年筆で書かれた48枚の原稿が、大写しとなるのですが、これってその後に
公開されたのでしょうか。いいところがナレーションで紹介されるのですが、長谷川
兄弟のファンとしては、これを読んでみたいと思うのでした。
りん二郎さんは、若いときに「地味井平造」という筆名で探偵小説を発表していて、
代表作は、いまでもどこかで読むことができるはずです。(「晶文社から「幻の探偵
小説作家を探して」という本でも地味井さんのことがとりあげられていたはず。)
 りん二郎さんは、兄である海太郎(林不忘)さんから経済的な援助を受けていたと
あります。ほとんど絵を仕上げないのありますから、生活がなりたたなくて、父親とか
長兄の援助で暮らしていたものです。それだけに、天下の流行作家であった海太郎さんが
なくなってから大変なことになったのでしょう。それでも、お父さんのすねをかじる
ことができたということですから、立派なことです。結局は、父親がりん二郎さんの
ために建てた荻窪の家が、終の棲家になったということです。
 戦争が終わってからは、満州とかシベリアで暮らしていた兄弟が戻ってきて、この
荻窪のお宅などにころがりこんできたようです。
 りん二郎さんの画集の年譜には、次のようにあります。
「 49年7月 しゅん一家5人 満州より引き上げてきて母と妹の家に落ち着く。
  (約10年間 一緒に生活する。)
  50年2月 四郎一家3人 満州より引き上げてりん二郎の家に落ち着く。
  ( 翌年、夏まで暮らす。)  」

 「タローの思い出」という原稿の1ページ目には、この猫の出生地として世田谷区
上北沢の長谷川四郎宅とでていました。この有名な猫は、四郎さんのところの飼い猫の
ファミリーでありましたか。
 長谷川四郎全集16巻の年譜を見ましたら、59年2月に上北沢に転居していました。
ちなみに「猫」の発表年は66年ですが、この絵については、洲之内さんが、次の
ように書いています。
「『猫』の絵だけは、6年前にもう完成していた。完成していると思ったので、
 私は譲ってくださいと頼んだ。するとまだ髭をかいていないからお渡しできませんと
 いった。」

 この猫の生年はわかりませんが、長谷川四郎さんのところにいた猫とありました
ので、四郎さんの文章で猫のでてきたものを探してみました。
小説「野ざらし抄」というなかには、つぎのようにありました。
 「 三年後の56年、私は茅ヶ崎から東京世田谷豪徳寺に引っ越した。・・・
  茅ヶ崎在住時代に、わが侘住いに住みついてしまった猫を五匹つれて引っ越した。
  猫というものは『人につかず家につく』といわれるが、その五匹の猫どもは、
  けっこう人について、一緒に引っ越してきて、はじめのうちはそわそわして、
  姿をかくしてしまったが、やがてまたあらわれて、そこに住みついた。 
   これはもう旧時代の猫ではなく新時代の猫だったからだろう。」
 このあと、保谷に移転して、そのあとが上北沢ですが、猫はずっと四郎家に
いたようであります。
 昨日VTRでみた番組では、「髭のない猫」は、それまで飼っていた猫の兄弟とか
いっていたようですから、いずれにしても四郎さんのところで生まれた猫がモデルと
なっているようです。