長谷川りん二郎展 8

 鮎川哲也さんの「幻の探偵作家を求めて」で、最初に取り上げられているのは、
地味井平造さんであります。鮎川さんにとって、幻の探偵作家といえば、まず頭に
浮かんだのは地味井平造さんであったようです。
 鮎川さんは、「ファンタジーの細工師・地味井平造」といタイトルで書いています。
「戦前のことになるが、春秋社より江戸川乱歩氏の編纂により『日本探偵小説傑作選』
が刊行された。編者はこのために長い序文を書きおろし、それは当時の日本探偵小説
界を概括的に鳥瞰した労作で、いまもって高く評価されている。わたしはこの長序に
よって地味井平造という変った名の作家と、<煙突綺譚>という代表作のあることを
知った。そして何とかして一読したいと思った。だが、その頃の地味井氏は筆を折って
おり、<煙突綺譚>も滅多に再録される機会がなくて、それ以来わたしにとって地味井
氏は幻の作家であり、<煙突綺譚>は幻の作品であるということになった。」
 鮎川さんは、1973年になって、やっとこの作品を読むことができたとのことです。
それから二年後に雑誌「幻影城」の企画で、地味井さんにインタビューをすることに
なります。
鮎川さんは、地味井さんが牧逸馬(林不亡、谷譲次)さんの弟であったということを
そのときまで知らなかったといいます。そして、このことを知った時に、地味井と
いうペンネームはジミーからきているとわかったとあります。
「このインタビューの冒頭で思わぬ失敗を演じた。部屋にとおされ、炬燵をすすめられた
ところで、おもむろに『物故作家の地味井氏につきまして・・』と切り出したら、
隣に坐った藤田嗣治画伯にどことなく似ている紳士が『わたしが物故した地味井君です』
と自己紹介されたので、わたしは奇跡にあったようにびっくりした。さまざまの理由
から地味井平造氏がてっきり亡くなったものとばかり思いこんでいたことがしくじりの
原因になるのであった。だからわたしは、この紳士は地味井夫人の弟さんか何かで、
今日のインタビューの介添役として同席したものであろうと、勝手に解釈していたので
ある。」
 著名な人でも、自分が亡くなったことは公表するに及ばずと遺言して、この世から
姿を消してしまうことがあります。法律的な手続きはするのでありましょうから、
戸籍が残ってしまい、永遠に生き続けるなんとことはないのでしょうが、この地味井
さんのように、生きながら亡くなったとされる人もいるのでありました。
「死んだと噂をされる人は却って長生きするといわれている。鼻の先で物故作家扱い
をされた地味井氏は、一層の長寿を保たれることを疑いないのである。」
 これから13年後の88年1月に長谷川潾二郎さんは84歳で亡くなります。
 長谷川四兄弟では、長谷川潾二郎さんが一番の長命でありました。長谷川四郎さん
が長い入院生活をおくっていた時に、「病に倒れて、元気のない四郎のことは見たく
ない」といって、潾二郎さんは、四郎さんの見舞いにこなかったと四郎さんのご家族
から聞いたことがありました。
 長谷川潾二郎さんの人となりを知るにいたっては、いかにもありそうなことである
と思うのでした。