「髭のない猫」というのは、最近、人気が高くなっている画家
長谷川りん二郎さんの愛猫「太郎」です。洲之内徹のコレクションとなって、
最後まで売ることなく持ち続けていたのですが、いまでは、宮城県立美術館に
収まっていると聞いています。
最近でた新潮社「洲之内徹 絵のある一生」では、この「猫」の絵が目次に
採用されています。いつころからか、画家 長谷川りん二郎さんというと、
この「髭のない猫」の絵が思い浮かぶようになっています。
この長谷川さんには、90年に岩崎美術社から刊行された夢人館シリーズの
一冊となる画集があります。これには代表的な作品64点が収録されているほか、
長谷川作品の蒐集家である岩井さんという方の文章と、岩井さんが録音していた
岩井さん、洲之内徹さんと長谷川さんご夫婦による対談なども収められています。
90年当時は、このように人気がでてくるとは思っていませんでしたから、刊行
部数も少なくて、けっこう珍しい本となっているのではないでしょうか。
この本で岩井宏方さんは、長谷川さんとの出会いについて次のように書いて
います。
「 たまたま、長谷川さんの姪が私の秘書をしていたので、彼女を通して、4号の
薔薇の絵をお願いした。長谷川さんは非常に遅筆であると聞いてはいたが、
二、三ヶ月で、できるはずのものが、何と二年以上経って、忘れた頃に届けられた。
この薔薇の絵が私にとって長谷川さんの最初のコレクションとなった。
長谷川さんの絵は実に緻密克明で、しかも素朴な暖かさがある。見ているだけで、
心が和らいでくる。広角レンズや望遠レンズ、あるいは軟焦点レンズや色ガラスを
通してみた対象や、レンズを激しい仰角や俯角において観察した風物を写生するのとは
異なって、1.0か1.2の視力の肉眼で、人間の立居の角度で物をみて描かれたもので、
そこには一片の気負いも、てらいもない自然そのものである。・・・・
しかし、髭だけ描くのに、猫が全く同じポーズをする必要はないだろうと洲之内さんは
思った。長谷川さんの仕事の仕方は、そうはいかなかったのである。そのうち、
春も秋も過ぎ、本物の猫の方が、だんだん年をとり、絵の猫には髭がないまま死んで
しまったそうである。こういうわけで、この猫には片方しか髭がないが、私のもっている
『猫と毛糸』の猫には、両方とも髭が描かれていない。この髭の由来については、生前、
長谷川さんから直接聞く機会がなかった。たいへん残念である。」