大塚版「先生とわたし」2

 「山口昌男の手紙」(トランスビュー刊)は370ページの本ですが、そのうちの
300ページほどは、67年から84年にかけての大塚信一さんあて書簡84通の
紹介と、それへのコメントによって構成されています。初期の書簡には、大塚さんの
手によって伏せ字となっているところがあり、山口昌男さんの他の人類学者へとむけ
られた舌鋒のするどさを感じることができます。(結局は、こうした鋭い攻撃が
自らにも向けられることになるのでした。)
 この本の読みどころの一つは、もちろん山口昌男がメジャーになっていく過程が
本人が公にすることを考えていない私信のなかで、伺い知ることができることで
あり、編集者としてつきあっていた大塚さんもまたメジャーになる過程で、山口さんの
ありかたに疑問を抱くようになるのでした。これはどう考えても疎遠にならざるを
えないことです。

「 99年2月にギャラリー巷房で開かれた個展にあわせて刊行された山口氏の本
 『踊る大地球』の出版記念会が、ギャラリー近くのレストランでもたれた。・・
  いろんな分野や仕事の人がたくさん集まっていたが、知っているひとはあまり
  見かけなかった。網野善彦氏も私も、他に知っているひともすくなく、時間を
  もてあまして、早々に会場を去った。山口氏は多くのひとに取り巻かれてご機嫌な  
  様子だったが、なんとなくわれわれとは無縁な存在になってしまったように
  思わないでもなかった。
  以前には、山口氏のまわりにいるのは、編集者や出版関係の人々だった。
  しかし、今回の出版記念会では、出版社の人間をみかれることはすくなかった
  ようだ。久しぶりにあったにもかかわらず、何かとてもさびしい思いをした
  ことを記憶している。」
  
 ちょうど、このギャラリー巷房での個展は、全国何カ所かで移動展をしたように
思います。小生の住むまちから近いところにある大都市でも書店内のギャラリーで
展示がありまして、それをのぞくことができました。山口昌男さんが会場にいらして
手相見の占い師のようにすわって、会場を訪れた客の似顔絵かきをしているのでした。
小生もそこにすわって山口さんに似顔絵を描いていただき、それをいまでも小生は
大切にしているのです。はじめて山口さんの書いたものを目にしてから、ほぼ30年が
経過していましたが、まさかこのように身近で接することができるようになるとは
思ってもおりませんでした。小生のすすめもあって小生の姪が山口先生の講筵に
つらなったということも、山口先生が身近となったことの原因ではありますが、
大学を開かれたものとするためにいつでも開放するとか、学長室をギャラリーとして
公開していまうなんてところに山口昌男らしさはみられましたが、それは学内では
反山口派に力を与え、結局は短期間で学長を降りざるを得ないことになったのでした。