大塚信一版「先生とわたし」

山口昌男の手紙 文化人類学者と編集者の四十年

山口昌男の手紙 文化人類学者と編集者の四十年

 大塚信一さん(元岩波書店社長)の「山口昌男の手紙」(トランスビュー刊)を
入手しました。旅先の宿で、入手したばかりの本を開いて読んでおりましたが、
これは、大塚版「先生とわたし」ともいうべきものでありまして、たいへん興味深い
内容であります。
 大塚さんの前著「理想の出版を求めて」というのは、今年の5月から7月にかけて
何回か、このブログでもとりあげたことがありましたが、いまひとつ興味がわかない
のでありました。やはり岩波の社長となるひとでありますから、いろいろと制約が
多くて、なんとなく、お行儀がよろしくて、物足りないのでした。
 今回の「山口昌男の手紙」は、大塚さんが大学時代に教えを受けて、影響された
山口昌男さんの未発表の書簡を通じての山口研究でありまして、既存の権威に抗して、
メジャーとなった山口さんが、自身もまた権威者となってしまうという歴史の皮肉に
ついての著作でありますが、これは山口昌男さんと大塚さんの緊密な信頼関係なくして
なしえない作業であります。
 大塚さんは、編集者として山口昌男さんがメジャーとなるにあたって「ドンキホーテ
サンチョ」のような関係であったのですが、サンチョからすると、どこまでも愚直に
ドンキホーテであってほしいと思った先生が、いつのまにか、多くの取り巻きに
囲まれた小さな王国の君主になっていたのです。
 そのことに違和感をいだいたサンチョは従者であることをよしてしまうのですが、
その後、とりまきに囲まれた王様は、世俗的な権力者の立場から追われてしまうのですが、
そうしたときに、かってサンチョは、かっての主君の復権のためのメモワールを公開
したということでしょうか。
 小生は、70年当時、論壇にデビューしてまもない山口昌男さんの知的なスタイルに
眩しいものを感じ、それを真似ることで、まわりをけむにまいて周囲をかわして
やってきました。そうして、けむにまいてきた小生も、年を重ねるにしたがって、年若い
世代からは、きびしい批判をうけるようになるのですが、そのときに、山口昌男さんの
知的なスタイルは、中年期を生き抜くための範となったでしょうかね。 
 いつまでも山口昌男さん頼みではないでしょうと思うのですが、中年から老年に
かけての道しるべであってほしいとも思うのでありました。