伏せ字を埋める

 その昔に検閲制度があったときは、そのまま活字にしますと発禁ということに
なってしまうので、伏せ字化するということがありました。
 マルクス主義関係の文書などは、いたるところに伏せ字があって、これを文脈に
あわせて想像力で補って読む技術というのが確立されていたように聞いたことが
ありました。ここで何字分であれば、「共産主義者」であるとか「ボルシェビキ」で
あるというようなことであったと思います。
 最近で伏せ字というのは、現存する人物についてのきついコメントであることが
多いようですが、この場合は、コメントはそのままにして人物の名前をイニシャルで
処理したりもするようです。
 最近が小生が読んだ物では、大塚信一「山口昌男の手紙」には、いたるところに
□□という形で伏せ字があるのですが、この伏せ字にはなにが入るのか推測するのも
楽しいことです。
 たとえば、次のごとくです。72年1月着の手紙です。
「 中公『歴史と人物』二月号に□□□のエリザベス朝の思考空間という□□□□な
 文章がのっています。『道化の饗宴』のブームにのろうとする最初の試みであり
 ましょう。インチキ道化のハビコル季節になってきたと思います。」

 先のほうは名前でありましょう。うしろのほうがコメントと思いますが、これは
現物にあたれば、前の三つ文字の人物は、容易に特定できそうです。その文章への
コメントは苦労しそうですが。

 小生の手元にあったもので調べることができたものですと、次のところであります。
「 林達夫氏の月報(著作集各巻付録 研究ノート)の小生の一文の載った号は、
 活字では愚妻が送ってよこしたので、はじめて読みました。□□□の□□□□□
 ぶりに改めて呆れました。」

 これは、71年2月 林達夫著作集第五巻の付録である研究ノート5にある文章に
ついての話です。この第5巻「政治のフォークロア」というタイトルで、一回目の配本
となったもので、この研究ノートに寄稿しているのは、次の面々(掲載順です。)
 大江健三郎山口昌男きだみのる清水幾太郎山口瞳
 71年には、この人たちのみなが健在でありまして、山口昌男が、ほとんどの人には
場違いな印象をもったのでした。(山口ファンを別にすれば)
名前が、三文字とすれば、ここにはいるのは、一人しかいませんね。
 この人は最後のところあたりで、次のように書いているのでありました。
「 書けなくなったのは、川端さんではなくて林先生ではなかったのか。戦争の傷痕を
もっとも深くうけているのは、実は林先生ではなかったのだろうか。・・・
 これは、もとよち私の仮定である。どうとられてもかまわない。間違っていたら、
 先生、叱ってください。」
 
 山口昌男さんからすれば、時評的なコメントについては書くことはなくなって
いるものの、「精神史」のような論文を発表しているから、書けなくなったなんて
書くこと自体が、わかっていないなと思ったのでしょう。そのような気分を□に
はいる5文字で表現するとすれば、なにがよろしいでしょうか。この作家の
ファンは多いので、きっとその方々は、その評はあたってないぞと怒るのであり
ましょう。