ストリートワイズ

 デビュー作には、その人のもっているすべてが込められているといわれます。
坪内祐三さんのデビュー論集である「ストリートワイズ」が文庫となりました。
これまでも、新潮文庫に「靖国」とか雑誌についてのものがはいっていましたが、
坪内祐三さんの多面性を確認するためには、この「ストリートワイズ」が向いて
いるのでしょう。(評論集のようなものが文芸文庫にはいると1500円くらいも
するのですから、同じ講談社からの文庫でも一般文庫では、その半額以下となり
ます。いつ品切れとなるかもわからずですから、早くに確保して、将来に文芸
文庫となった時に、一般文庫をみせびらかして自慢することしましょう。

ストリートワイズ (講談社文庫)

ストリートワイズ (講談社文庫)

 小生は、この文庫の元版(晶文社刊)を購入しておりますので、まずは文庫本
で書き加えられたあとがきから見る事としました。
「 十年一昔という言葉があるが、私のこの最初の評論集『ストリートワイズ』が
晶文社から刊行されたのは、1997年4月、今から12年前のことだ。
 たしかにずいぶん昔のことのように思える。私は本を乱造しないタイプの物書き
だが、それでもその12年の間に30作近い(あるいはそれを超える)本を刊行
した。
 つまりプロの物書きになった。」
 元版がでてから12年もたったというのか、12年しかたっていないというのか、
微妙なところであります。
この元版を購入したのは、次のような背景によるものです。
「『東京人』をやめたのち、『東京人』時代に貯えた貯金がそろそろ底をつこうと
する頃、文化人類学者の山口昌男さんを中心とするテニス山口組の幹事役だった
フリー編集者木村修一さんから『月刊 Asahi』の特集の仕事をまわしてもらい、
それによって、結果的に、私の物書きへの道が開けていったのである。
 つまり木村修一さんは、私が物書きとなった大恩人だ。」

 坪内祐三さんは、初期の関心は「福田恆存」にあったのですが、物書きとしては
山口昌男さんが中心となる「山口組」(または東京外骨語大学)の一員として
活動をするようになって成り立つにいたったということでしょう。
 小生が一番最初に坪内さんの文章を目にしたのは、やはり山口昌男さんが関係して
いた雑誌「ノーサイド」(文芸春秋社刊)のライターとしてでありました。
雑誌は「94年8月号」刊とあります。この時の「ノーサイド」の特集は、
「異色の父と子100組」というものでした。
坪内さんは、「斉藤秀三郎」(岩波 英和中辞典の著者)と「斉藤秀雄」(音楽
教育家で桐朋学園の音楽科の基礎を築いた)とか、「九鬼隆一」と「九鬼周造」の
親子などについて書いているのでした。