文楽人形遣い

 「文楽」というのは、もともと庶民の娯楽であったのですが、最近ではすっかり
庶民には縁遠いものとなっているようです。文楽で上演される世界などは、日本人に
とってはなじみのものでして、そのメンタリティは今にいたっても変化はないように
思うのですが、なにせ、文楽に限らず、歌舞伎など古典芸能は、見方がわからないと
さっぱりと楽しむことができませんですから。一部のスペクタクルを強調した歌舞伎
以外は、よほどの見上手でなくては、楽しむところまでいきません。
 文楽の影響は、日本国内に人形芝居があることでもわかります。昔の人は、この
浄瑠璃をきいて意味が理解できて、人形の動きをみて、名人の操作をしることが
できたのであります。
 こうした人気を背景に、文楽人形の頭をつかって、もうすこし省力化した人形芝居が
できて、現代にも伝わっています。
なんといっても、正式な文楽は三人遣いですから、一体の人形を動かすためには、
足を動かす、左手を動かす、そして右手と顔を動かす人が必要となって、この遣い手を
揃えるというのは、本場以外は無理なことでした。
今も残っている一座で、プロとしての活動をしているなかには、八王子車人形という
西川古柳一座があります。
ひょんなことから西川古柳さんのお話を伺うことがありましたが、先代は自宅で
家業の織物業を営みながら、求めに応じて車人形の一座の座頭として活動し、
戦後は、織物業を廃業して、人形だけで生活を支えるにいたったのです。
 先代は、息子に伝統ある車人形の後継としての修行するために文楽学校にいれて
そこで修行させることにしたのでした。親もえらいが、将来に文楽の世界には
残らない車人形の後継者を受け入れた文楽業界のえらいひとたちもえらいといわれて
います。 
 文楽の世界は世襲ではなく、入門を許された人が、長い下積みを経て、一本立ちする
ということで、歌舞伎の世界とはことなります。文楽は、ユネスコ世界遺産
なったのですが、昔の名人たちを間近にみて修行した人たちの芸談をきくのは、
楽しいことであります。