最近の雑誌から 4

 岩波「図書」8月号 多田一臣さんの「林家正蔵のこと」を読みますと、当方はつく
づく良い時代に子どもから大人になったものと思います。現在のこどもたちも長ずるに
及んでそのような気持ちになることを祈っておりますが、なんといって小説家も画家も
役者も噺家浪曲師も、なにもかも巨人の時代でありました。
 昨日に引用いたしましたなかに「八代目 桂文楽、六代目円生、五代目小さん、
それに八代目 正蔵」とありましたが、これはあくまでもTBSラジオの名人会に
登場する噺家さんでありまして、ここに名前があがっている方はTBSの専属という
ことで多局の番組には出演することがなかったのでしょう。
 この綺羅星のごとくの名人たちが名乗った名跡で、それを継いでいる方があるのは
なんであったでしょう。文楽は、永久欠番になるかと思いきや1992年に当代が襲名を
しています。小さんも、いろいろとあったようですが、襲名にこぎつけました。
いろいろなくてすんなりきまったように見えて、これはいかがなものかというのが、
当代の正蔵でありましょうか。
 歌舞伎の世界とくらべますと、噺家の家のほうが家業または世襲という色あいが薄い
ようにも思えます。それでも蛙の子は蛙で、親の背中を見て、いつのまにか同じ道を
歩むようになったところもあるのですが、親が名人といわれるところほど息子たちは
つらいことになります。だから、いわんこっちゃないでありまして、親を超えるどころ
か、ふつうのレベルに達するのでさえ、たいへんであります。
 師匠の元で修行をして、師匠の後に、その名跡を襲名しても、師匠の名前が重いので
ありますからして、御曹司が父である師匠の名跡を継ぐ(またはつがせる)なんて、
無謀なこころみであるかもしれません。
 多田さんは、この文章の最後で余計な一言と記して、「林家正蔵という名跡は怪談
噺の家元の名で、いわば公器にも等しい。それを現九代目が継承するに際して、斯界の
関係者、さらには批評家諸氏のいずれからも異論が出なかったことに対して、いまだに
疑念を消せずにいる。」と書いています。
 もちろん業界全体が、新しいスターの誕生を祈って、襲名イベントをするというのは
理解できるにしても、社会の公器ともいうべき名跡を、私物のように取り扱うのは如何
ということです。そんなことをいっているうちに落語界の集客がこれ以上におちたら
どうするのという反論が聞こえてきそうです。
 実力を問われる世界において、父と同じ道を歩むことを宿命づけられた人には、
同情を禁じ得ませんですね。