精神科医のユニークさ

 このところ、すこし低調でありまして、話題にことかく日々が続いております。
それなら、すこしはお休みしてもいいではないかと思うのですが、せっかく
ここまで続けているのだからと、たいして意味もないことをいって材料探しを
するのでありました。
 こまったときには、手近においてある大塚信一「理想の出版を求めて」に手が
いきます。何度か引用をしているように、この大塚さんは、岩波書店の編集者から
社長となったかたで、雑誌「へるめす」路線の推進役でありました。そのむかしで
ありましたら、大塚さんのようなタイプのかたが岩波の社長にはならなかったで
ありましょう。
 本日は、86年にスタートした「叢書 精神の科学」に関してであります。

「 ところで、この講座で原稿をもらうのに最も苦労したのは、編集委員
中井久夫氏であった。
 氏の該博な知識は、精神医学以外に多方面に及び、ギリシャ語の詩の翻訳なども
手がけることは、よく知られている。しかし、所与のテーマがつぼにはまった
場合には、先に哲学講座のときの山口昌男氏がそうであったように、中井氏の
場合も、とても規定の枚数に収められるものではなかった。・・
 中井氏は、ときには、自分が教授として属する神戸大学病院に、自分でカルテを
書いて入院してしまうとのことでだった。氏の発想の思い白さは抜群だったが、
行動もすこし常人と異なる場合があった。たしか、京都で講座の編集会議を
開いたとき、氏は欠席したが、後で聞いたところでは、新幹線を乗り過ごして
名古屋までいってしまい、時間がなくなった、ということだった。
が、中井氏本人の分析によれば、京都には京大にいた時代のトラウマがあり、
無意識のうちに京都にいくことを回避したのだという話だった。それに対して、
笠原嘉氏も河合隼雄氏もなるほどといって、不思議そうな顔一つしなかったのには
驚いたものだ。」

 ほとんどサラリーマンであったら、3日ももたないようなごーけつぶりでありますが、
これが許されるのが、常人とは異なるところでしょうか。どうみても、こうした
行動は、神に愛された人に特有のもののように思いますが、それにしては、河合隼雄
さんも、中井久夫さんも平均寿命くらいまで生きているわけですから、世間からも
はじかれることなく、幸せなことであります。