袖のボタン 丸谷才一

 丸谷才一さんが朝日新聞で連載していた「袖のボタン」は、この3月まで3年ほど
月一回の楽しみでありました。この連載は、やはり夕刊紙などに掲載していたものとは
違っているように思いました。そのむかしであれば、毎月、きちんと切り抜きをして
スクラップするのでありますが、最近は、まったくそのような勤勉さから遠くなって
おりまして、あちこちに未整理でそのうちの何回分かが、残されているのでした。
いろいろといいたいことはあるものの、やはり丸谷才一さんは愉しませてくれることで
あります。
 記憶に残っている文章も、すっかり忘れてしまっている文章もあることです。
不思議でもなんでもない組合せは「吉田秀和」さんについてふれたところです。
「うち明け話をすると、批評家としてのわたしは吉田さんに師事しているらしい。
ものの考え方という点でも、文章術という点でも、実に多くのことを学んだ。
日本人の先輩で、こんなによく、具体的に教えてくれる人はほかにいなかった。
・・文学関係の評論から教わったという意味ではない。・・それよりもやはり
本筋である音楽評論がためになった。当然のことながら心のゆとりが違うし、
おくが深いし、あの手この手が素晴らしい、とりわけ作品の地肌を丁寧に味わい、
それをきれいに描写しながら、その作品を伝統と文明のなかに置く態度。これは日本の
批評のでは意外に稀なこと・・・」
 ( うち明け話をとかいているとおり、丸谷才一さんは、吉田秀和さんについての
まとまった文章は書いていないはずであります。丸谷さんの盟友であった篠田一士さんは、
音楽についての著作もあらわしていますが、ずいぶんと早くに「批評のスティルを求めて」と
いう文章を発表して、批評家としての吉田秀和さんをとりあげていました。ずいぶんと
昔のことで、集英社からの「音楽に誘われて」に収録されています。)
 ちょっと意外であったのは、赤塚不二夫さんについての文章があったことで、これを
読んだことなどが、武居編集者の書いた「赤塚不二夫のことを書いたのだ」を手に
させることにもなったのでした。