筑摩書房の再建時代

 出版社というのは、ほとんどが中小零細でありますから、経営悪化して倒産と
いうことになりましても、ほとんど話題になることもなく、いつの間にか表舞台
から姿を消すのでありました。
 会社更生法の手続きをとったり、ほかの企業からの支援を受けて経営再建に
のりだすというのは、希有なことであります。近年では、中央公論社が読売新聞の
支援をうけて建て直しにあたっているのが話題になりました。
筑摩書房が経営悪化によって会社更生法の手続きにはいったのは、79年のことで
ありました。大きな企画のほとんどがうまくいかなくて、最後に若い人むけの
文学全集を企画して、数巻でたところで、立ち行かなくなり手続きをとったように
思います。それからの数年は、管財人の弁護士さんが、発行人となって出版活動を
続けていました。不良在庫を整理するために社員の方が、全集などをセットで
割り引きして販売活動をしていました。このまち出身のかたを通じて、3割引で
販売するが、なにか購入希望はないかと問い合わせがあって、小生は欲しくても
手が出なかった「上林暁全集」を購入したのでありました。 
 弁護士さんとともに管財人となって、出版事業を担当したのが、当時78歳と
なっていた布川角左衛門さんでありました。再建計画では15年かかるところを
12年で完了して、再建をはたしたのですが、ちくま文庫が創刊されたのは、
倒産後7年めのことで、再建が完了したときに、布川さんは90歳となって
いたのでした。
 倒産後に中断していたPR誌「ちくま」は、文庫が創刊されるときには、再開
していましたので、どのくらい休んでいたのでしょう。
本日の話題のねた本も「戦後名編集者列伝」櫻井秀勲でありますが、ここには、
次のようにありました。
「 布川が在任中、もっとも苦しんだのは、若手の企画を時期尚早と押しとどめた
ことにあったようだ。中でも雑誌創刊は全社員の待望するところだった。かって
「展望」という総合雑誌を誇っていた一時期もあった。 
  だがもし赤字が出たら、再建計画は頓挫してします。雑誌単体で採算のとれる
見込みは、ほとんどない。ただし雑誌の生み出す著者と単行本の原稿は金の卵で
ある。しかし、布川はこの待望論を苦渋の選択として退けた。結果として、
この決断が、再生の時期を早めたことは間違いない。」
 筑摩書房には、「筑摩書房の30年」という正史がありますが、これは創業者で
ある古田さんが、まだ健在な時代に刊行されたもので、作家 和田芳恵が書いたと
いうふうに聞いています。
 再建過程にある筑摩書房において若手というと、松田哲夫さんなんかがあたる
のかもしれませんが、松田さんの「編集狂時代」では、この時代のことを、
どのように書いていたでしょうか。
 松田さんは、役員になるまえに、ちくま」から久しぶりの雑誌「頓知」を
創刊するのですが、結局は早々に廃刊して撤収をはかり、会社への悪影響を
最低限としたのであります。そうしたことからは、布川さんの教えを、いまも
守っているといえるでしょう。