文学全集と人事

 先日に購入した柴田光滋さんの「編集者の仕事」には、「昭和は文学全集の時代
だった」という章があります。
 

編集者の仕事―本の魂は細部に宿る (新潮新書)

編集者の仕事―本の魂は細部に宿る (新潮新書)

「 平成ないし二十一世紀に入って、論じるに足るものはあっても、新聞に派手な
広告を打つような文学全集は見かけなくなりました。しかし、日本の近代出版史か
ら見れば、昭和という時代は文学全集の時代とすら言えます。少し書き加えれば、
文学全集の大半は小説全集ですから、昭和は小説の時代だったとも言えるでしょう。」
 最近で文学全集らしいものとなっているのは、筑摩書房からでている文庫サイズの
ものでしょうか。文学全集でならした筑摩が、失敗しても会社の屋台骨に影響を与え
ず、しかも野心的な試みができるというもので、入れ物としてはすこし小さなきらい
がありますが、一人一冊というのがよろしでありました。
長谷川四郎 (ちくま日本文学全集)

長谷川四郎 (ちくま日本文学全集)

 もうひとつ話題になっているのは、池澤夏樹さんが一人で選した海外文学の全集
というものでありますが、これは昔であれば文学全集といわなかったようなもので
ありますね。
 柴田さんは、「文学全集の時代の空気を知る編集者の最後の世代」ということに
なるかも知れないと記していますが、かっての「日本文学全集」をつくるのに、
特に配慮したのは、「作家や作品をどう割り振るか」であるとあります。
「いわばこれは『人事』ですから、あれこれと波風がたちやすい。一巻に複数の
作家を収める場合、『あの作家とは一緒になりたくない』などと言われないために
文壇の人間関係も慎重に配慮しなければなりません。その問題を回避するため、
私の経験した文学全集はどちらも一人一巻でした。なお、企画の発表後、収録され
なかった作家から抗議がくることもあります。これも人事ゆえのことです。」
 人の世のことですから、このような悲喜劇というのは避けてとおることができな
いのでありましょう。かって文学全集を刊行していた出版社というのは、どこにも
こうした文壇人事に精通した編集者がいて、さらに、トラブルが発生したときに
もっぱら対応する役員というのはいたのですね。