「戦後名編集者列伝」4

「戦後名編集者列伝」の発行元である編書房は、編集者である社長さんが
おひとりでやっている出版社です。社長さんは、小生の友人の同級生という
ことで、友達の友達ということで、活動を応援しているのでした。
 先日来、とりあげている櫻井秀勲さんのものは、出版、編集関係の本が
好きな小生であっても、こうした縁がなくては、手にすることがなかった
かもしれません。
 昨日にこのブログのために、「戦後名編集者列伝」手にしていたのですが、
次のようなくだりで眼がとまりました。
「岩瀬にもこの一攫千金の夢が強かった。実際、私は岩瀬とつきあっていたが、
成功してくると、銀座にはバーは出すわ、有名女優を愛人にするわと、目を
見張るばかりの金の使い方だった。・・・
 昭和61年5月、岩瀬は53歳になる一日前に死んだ。K・Mという女優は、
このとき、片方の靴が脱げたことも気づかずに病院に走ったと、のちの手記に
書いている。」

 この岩瀬さんというひとは、kKベストセラーズという会社の社長さんで
ありました。この版元は、新書サイズの本のほか、「ザ・ベストマガジン」と
いう雑誌をだしていました。
 この文章をみたときに、有名女優で、K・Mさんというのはどなただろうと、
口の中でK・Mというイニシャルをつぶやいていたのです。か行の人ですが、
そのような名前の女優さんの名が、思い浮かばないうちに、ふとんにはいる
時間となっていました。
 本日に仕事にいく時も、気になって、引き続きで考えていたのですが、
仕事場にむかって歩きはじめたところで、なんだK・Mというのは、加賀まり子
あるかとひらめいたのであります。(たぶん、ほかにも、このイニシャルの
女優さんという人はいるでしょうが、このなまえがうかんでくると、この人しか
ないという確信となったのであります。)
 本日の仕事をおえてから、自宅近くのブックオフに立ち寄りまして、百円均一
の棚をみていましたら、なんと加賀まり子の手記を発見するでありました。これを
手にしてなかを確かめてみましたら、小さな出版社の社長と親しくなったことが
でておりました。そして、その男性ががんで亡くなったとも。
昨日の夜に、手にした本でみた有名女優の手記を、翌日に立ち寄ったブックオフ
眼にするというのは、けっこう本狩人としての勘が衰えていないぞと、思わず
にんまりとしたのでした。(もちろん、加賀まりこさんの手記は、かわずに書棚に
戻したのでありました。)