今年 消えたもの 5

 今江祥智さんによる理論社への応援メッセージのような文章の紹介をしていますが、
今江さんは理論社の嘱託編集者をしていたとありますし、主著と作品集は理論社から
刊行し、再婚した女性は理論社の編集者であったとありますからして、ほとんど理論社
とは親戚みたいな関係であったのかもしれません。
 この応援メッセージは、みすずから刊行された「幸福の擁護」に掲載されているわけ
ですし、たとえ親戚のような関係の出版社であったとしても、理論社とその編集者たちは
ほめられていいですよね。
 この本には、94〜95年ころに毎日新聞大阪版に掲載した今江さん流の交友録が
あって、その中に理論社の編集者 山村光司さんに関するものがあります。
「私は、山村さんのことを思い浮かべていた。理論社の会長さんである。三十四年前に
私の最初の長編を作ってくれたときは制作部長だった。あの小宮山量平社長の下で働き、
理論社絶対絶命の折りに敢えて社長になり、逆転して社を護り抜き守りたて拡充に迄
もっていった。
 椋鳩十乙骨淑子倉本聰灰谷健次郎の全集を作り、私についても二次に亘る
”全集”を作ってくれた恩人である。・・・同世代の編集者の殆どが、止めるか亡く
なるかしている中で、ずうっとつき合い続けてくれている稀な『戦友』なのである。」
 この本には、小宮山量平さんの本「子どもの本をつくる」からの引用もあります。
「私のような小さな出版社の旗ふりでは、出る本出る本も、85%以上の返品でした。
次々と受賞だけはするのですが、経営はピンチの連続です。著者たちにも印税が滞り、
社員たちも他社の高給やボーナスを横目でにらんでこらえつづけました。」
 編集者は給料が高いというのは、ごくごく例外的な出版社の話しでありましょう。
ほとんどのところは、理論社と同じような内情でしょう。
 理論社の比較的最近の刊行物には、次のようなものがありました。このシリーズは
それなりに版を重ねたものがあるようですが、それでも会社を救うにはいたらなかった
ようです。