「宇滴集 文学的断章」4

 大岡信の「文学的断章」は「ユリイカ」に休載の期間も含めてほぼ10年間
続き、青土社から6冊の単行本となりました。
「彩耳記」「狩月記」「星客集」「年魚集」「逢花抄」そして「宇滴集」であり
ます。
「題名について補足するが、『記』二冊、『集』二冊と続いたあと、『抄』を
一冊だしたのみで再び『集』に戻したのは、少々均整を欠くが、『抄』とつけて
うまく落ち着く題名が容易に見いだせなかったためである。すこしばかり残念な
気もするがいたしかたない。『宇滴』には『集』ならつくが『抄』はつかないと
いうのが、理屈抜きの私の選択である。」
 この題名は、ほとんどが大岡信の造語でありますが、小生にとって一番あり
そうもない「年魚」という言葉のみが、辞書にのっていて、ワープロでも変換さ
れるのでした。
 本日は、シリーズの最終巻となった「宇滴集」に収録されている「個人全集」
その他の内容見本のために書いた推薦文を採録するにあたっての前書きについて
です。
 以前は、箱入りの個人全集の販売促進のために豪華な内容見本がでていまして、
これがけっこう読み応えがあったのです。けっこう立派なものが普通に書店で
入手できましたし、版元に請求してもおくってもらったものには、永年保存という
ような貫禄のあるものがありました。小生の手元にあるもので、一番というのは、
河出書房からでた「日夏こうのすけ全集」のものでしょう。あと、インパクトが
あったのは「埴谷雄高作品集」とやはり河出書房のものですか。

「こういう内容見本というものは、用がすめば大抵は捨てられてしまうもので、
自分自身が書いたものさえ場合によっては見失ってしまうくらいだから、まして
他の人にとっては紙屑も同然だろう。千人に二、三人は奇特な人がいて、わざわざ
この種のものを集めているという場合もあるけれども、それは例外。
けれども、推薦文というものは、それを書く人間にしてみれば、限られた字数で、
自分が関心を寄せ敬意を抱いている人の業績や、大きな叢書、全集類のために
頌辞を連ねるわけだから、それなりに苦心もあれば思い入れもある。そのまま
捨ててしまうのはなんとなく惜しいし、自分が推薦するものについては、その場
限りのことでなしに人に宣伝もしてみたい思いもある。」
 ということで、この集には、「秋元松代全作品集」「大和古寺大観」「寺田透
などについての推薦文があるのでした。
個人全集の宣伝のための内容見本が、簡素化されたのは、たいへん残念なことで
ありますが、なんども全集が刊行されて、その都度ちがった内容見本が作成された
夏目漱石」など、それらを時代ごとにコレクトするとおもしろいような気が
します。

 ということで、数日にわたって話題にした「文学的断章」は、大岡信
「朝日朝刊」に「折々の歌」を連載するようになったことで、終わってしまったので
あります。大岡信は、「おりおりの歌」が代表作となったのですが、小生は、
「文学的断章」が終わったのが、残念でならないのでした。