訃報あり

 大岡信さんが亡くなったとのニュースがありました。
 病に倒れて、ずいぶんと長いこと大岡さんは不在となっていましたが、ずっとどう
しているのだろうかと気になっていました。昨年だかに車いすにのっている写真が
新聞に掲載されていて、やはり文章を発表したりするのは難しいかと思いました。
早熟な人でありまして、倒れるまでに、優れた仕事をほかの人の何倍もしたのです
から、晩年に筆を持てなくなったとしても、悔いのない生き方であったと思いたい
ことです。
 当方は大岡信さんの詩にはなじみがなくて、吉田健一さんの文芸時評でえらくほめ
られていたので、その詩集「透視図法 夏のために」を手にしたくらいでありました。
 当方が大岡さんの著作で偏愛するのは「文学的断章」シリーズでありまして、これ
については、拙ブログでも何度か話題にしました。話題が豊富で、目の付け所に教え
られることが多く、勉強になったことであります。このシリーズで検索をしてみまし
たら、拙ブログが検索上位にくるのですから、残念なかぎりでありますね。もっと
話題になってもよろしいと思うのに。
 本日は「文学的断章」を手にして、そのなかから任意の1ページから引用です。
「どんなに好奇心の強い人間でも、自分の死顔だけは見ることができない。
 死後のことについてなら、ふたたび、空想するという楽しみが戻ってくる。
 私が今までに読んだその種の文章では、子規の『死後』(明治43年2月)がいちばん
さわやかで楽しいものだった。」
 1971年頃の文章ですから、大岡さんは40歳でありましょう。とんでもなく世にでる
のが早かったということがわかります。
 ご冥福をお祈りします。