私の半自叙伝2

 本日も蘆原英了さんの「私の半自叙伝」からです。
 
「私は小父さん(小山内薫のこと)にいろいろの昔話を聞いたが、今でも
忘れられない話に、山田耕筰とささきふさの恋物語がある。この話を小父は
実に熱をこめて、おもしろおかしく話してくれた。あんまり話がおもしろいので
忘れられないのだが、もう一つの理由はささきふさが私の憧れの女性であった
からである。
 ささきふさといってももう知らない人がいるかも知れないが、大正年間に
流行した耳隠しという結髪の元祖だった女性で、モダンガールのはしりだった。
・・・ おふささんで忘れられないのは、私がバレエの研究をしているという
ので、バレエの本を見せてくれたことがある。これは私がまだ見たことのない
もので、一眼見ただけで垂涎万丈の稀覯本であった。1913年ドイツデ
出版された『バレエ・リュッス』という大きな帙入りの画集で230部の
限定本であり、1980年の今日まで、どこの古本やにもでたことのない珍本
である。・・・
 彼女は私が羨ましがることが嬉しくて嬉しくてたまらないようであった。
 時が去って、戦後になった。私の舞踏書はわずか数十冊を残して、戦火を
あびて灰燼に帰してしまった。自分でいうのもおこがましいが、私の舞踏書の
コレクションは個人のものとしては、世界的にも有数のものであった。それを
ほとんど失ってしまったのだ。また蒐集をはじめなければならないと思った
とき、まっさきに思いついたのは、おふささんの本である。」

 この限定本は、ささきふささんが亡くなってから、おふささんのお世話をして
いたひとに形見分けとして贈呈され、それから7年ほどして、蘆原さんの所に
届けられることになりました。

「 とにかく、この夢にみたバレエの本は、こうして私の書架を飾ることに
なった。
 私がおふささんを好きであったから、この本が私の家にきたのであろうか。
もちろん私がバレエの研究家であったから、この本は私に贈られたのであろうが、
しかしそれだけでもないような気もする。やっぱりこの本は、私の書庫におさめ
られたいと思っていたに違いないと、わたしには信じられるようになった。」
 
 一度集めたものを戦火で失って、また集めるというのはたいへんことで
あります。そうして蒐集したものは、蘆原さんの死後、国会図書館に寄贈されて、
現在はコレクション目録に整理されているのでした。