私の半自叙伝

 新宿書房からは「エンサイクロペディア・アシハラ」というべき蘆原英了
コレクションが刊行されています。全4冊で タイトルは「舞踊と身体」
シャンソンの手帖」「サーカス研究」そして、「私の半自叙伝」であります。
「半自叙伝」は73歳のときに「TBS調査情報」に連載したものをまとめて
一冊にしたものです。蘆原さんは1907年うまれということですから、生誕百年で
ありました。そうか、いまも健在でありましたら、どんなはいからなじいさまで
ありましたろうか。
 蘆原英了さんは軍医一族の出身で母親は、藤田つぐじの姉で、小山内薫
いとこということでありまして、この半自叙伝の口絵には昭和4年に藤田嗣治が、
妻をともなって帰国したときに撮影した一族の写真がのっていますが、いかにも
名門然としておりまして、個々の人についての説明はありませんが、この写真にも
有名なひとがうつっているのでしょう。(弟さんは建築家の蘆原義信です。)
蘆原さんがいうところの戦後は、なんと日露戦争後のことです。
「 私たち1907年生まれは、とにかく日露戦争から凱旋してきたオヤジに
仕込まれた子供たちである。恐ろしいと思っていた白人と戦って勝ち、がしん
しょうたんの甲斐あってほっと気がゆるんだ時に生産された子供たちである。
どこか、戦前派とくらべてしまりがない。女に甘い。いい気である。
三木武夫は1907年うまれであって、福田赳夫(1905年)とははっきり
違う。・・・
 この戦後派に私が属することを強調したいのは、私が女性崇拝者であることの
弁明であることの弁明でもあるからである。」