小さなひなげしのように

 グローバルスタンダードというのはアメリカ支配のことではないかと
思ってしまう最近の状況ですが、昔はいまよりも文化面においても
ヨーロッパの影響が大きかったように思います。音楽でもフランスの
シャンソンが日本のヒットチャートにあがったりしていましたからね。
 60年代のはじめから英国のグループが世界の音楽市場を席巻して
から、英語で伝えることのできない文化は、広がりをもたなくなった
のではないでしょうか。大衆的な人気を集めないということで、今でも
根強いファンはいるのでしょうが、映画でいうとミニシアターでの展開に
とどまっているように思います。
 昔は、そうではなかったですね。中井英夫「虚無への供物」の舞台は
54年ですが、この小説の登場人物たちは、シャンソンが大好きなので
ありました。

「『そうだ、パリの街角の時間だ』とむかいの自分の部屋へとんで
 いった。
  このラジオ番組のおかげで、あとから紅司の死亡時刻もほぼ正確に
 推定されたのだが、これはLFで毎週水曜の夜10時35分から、
 おなじみ蘆原英了先生の解説、スポンサーは大日本精糖、ジェルメエヌ・
 モンテロのタマラブムディエをテーマ音楽に放送されていたシャンソン
 専門の番組であった。
  そのときも、じきにもの哀しいような男の唄声が、亜利夫たちにも
 幽かに聞こえはじめたが、あとで聞いてみると、曲はコマンプチコクリコ、
 『小さなひなげしのように』で、唄っていたのは、これで前年のディスク
 大賞をもらったムルージ、曲名も歌手も、後には日本でも知れ渡った。」

 この小説を読むまえに、小生は蘆原英了さんという人を知っていたのかどうか
はっきりとしないのですが、この作品を読んでからは、シャンソンの評論家で、
小説の中ではあるが先生といわれる人がいるのだということを知ったのです。
 小生がムルージの「小さなひなげしのように」という曲を聴いたのは、
この小説を読んでからずいぶんとたってからで、しかもこの人が小説を書いて
いて、それが翻訳されたことに驚いたのでした。
 蘆原英了、小さなひなげしのように、ムルージというのは、小生のなかでは
「虚無への供物」でのつながりで記憶に残っているのでした。