平凡社つながり 17

 新宿書房から刊行された蘆原英了コレクションを手にしていたら、その装丁の見事
なことに、これは書影を掲載しなくてはと思いました。
 装丁を担当された田村義也さんは、この蘆原氏の著作について、どこかで言及して
いるのではないかと思って、「のの字ものがたり」「ゆの字ものがたり」「田村義也
編集115人の回想」などを見てみたのでありますが、これはいまのところ見つかって
おりません。
 
 当方がこどもの頃には、大きなお祭りというと小屋がけのサーカス興行があったもの
です。日本のサーカス団はいくつくらいあったのでしょう。今から50年くらいも前の
ことですが、サーカス団がお祭り興行に来ていて、火事をおこして、象が逃げ出したと
いうようなことが、当方の記憶に残っています。
 蘆原さんは、サーカス研究に収録されたNHKの「女性手帖」の対話で、次のように話
をしています。
「我々は夜遅くまで遊んでいてなかなかウチに帰らないでしょ。そうすると、人さらいに
さらわれるっていわれたんです。さらわれたら、サーカスに売られちゃうってね。
我々は、昔サーカスをやっている人はみんな、人さらいにさらわれた人だと思っていま
した。
 なんともいえない物悲しさ。さらわれて、ああいうふうになっちゃったという。」
 もちろん、これは都市伝説のようなことでありますが、当方のこどもの頃まで、こう
いう言い伝えは残っていました。お祭りにあわせて日本全国を旅して歩くということ
からは、旅芝居の一座とイメージがかぶりました。サーカスよりも、こちらのほうが
身近な存在ではありました。
 サーカスの魅力については、次のように記しています。
「サーカスの生命は、馬だ。馬のいないサーカスなど考えられない。それにもかかわら
ず、ちかごろではサーカスから、馬が姿を消してゆく。そしてそれと同時に、サーカス
自身が消えてゆく。今年のはじめに、パリのシルク・メドラノが閉鎖した。馬を尊重し
ないサーカスには、存在理由がない。」
 サーカスの衰退と、馬の関係といわれても当方にはぴんとこないのですが、サーカス
を愛する蘆原さんがそういわれるのですから、これは受け入れるしかありません。