朝から誰が読むのか。

 朝日新聞の朝刊に文化欄が移って加藤周一さんの「夕陽妄語」とか、
大江健三郎さんの「定義集」を仕事にいく前のあわただしい時間に目に
する気分にはならないことです。このような文章を朝刊で読ませようと
いうのは、どうせ通勤列車のなかではすることがないので読むしかない
であろうと思っているか、読者は仕事もやめた年寄りが中心であるので
朝か夕であることは関係がないと思っているかどっちかです。
 日本経済新聞が、その紙面に渡辺淳一さんの小説を連載でのせて、
それが不倫をテーマにした作品であったので、朝から(?)このような
作品をサラリーマンに読ませて、どうしようというのかと話題になった
のと好一対であるかもしれません。
 大江さんの本日の「定義集」には、「アマチュア知識人の大切さ」と
いう見出しがついています。このタイトルは、新聞社のほうでつけたもの
でしょうが、林達夫さんの「アマチュアの領域」(「思想の運命」)とか
山口昌男さんの「アマチュアの使命」(「人類学的思考」)なんていう
有名な文章のことを思い出すとともに、それらとくらべるとなんとなく
ぱっとしないように感じました。
 この大江さんの文章のぱっとしなさは、同じような話をなんどか聞いた
ことがあるように思うという(まるで、95歳の日野原先生の話のように)
ことによるもののようです。大江さんは、なんといってもノーベル賞
受けているからして、なにをどのように書いても編集者はほとんど
チェックできないでしょうが、「アマチュアの領域」を書いたときの
林達夫さんは、その対極にあったのでした。
「 特にアマチュアはアマチュアらしくなるべく自分の経験を地道に
 述べるべきだ。専門家のように完備した広汎な知識、あらゆる場合に
適用しうる概括を彼は目差すことはできないし、またそれを誰しも
要求はすまい。・・・アマチュアが一般に園芸文化に寄与する道は、
このいわば地に着いた個人的経験を語ることにおいてであると思う。」
 自由に発言ができなかった時代(昭和13年頃)に「園芸文化」に
よせて思想を語るというアクロバチックな文章になっているのですが、
中公文庫「思想の運命」の解説者は、「この本が刊行された際、林は、
43歳であったから、しかし、それにしてもこの思想家は、その年齢で
これほどの成熟に達して、ひとり野の樫のように屹立していたのであった。」
と書いているのですが、こう書いているのは、いまから28年ほど前の
大江健三郎さんでありまして、つくづく年はとりたくないと思うので
ありました。