塩1トンの読書

 「塩1トンの読書」というのは、須賀敦子さんが亡くなって5年後にでた著書の
タイトルであります。表題作は岩波からでている「読書のすすめ」というPR文庫に
収められたものです。
 このエッセイの書き出しは彼女が結婚して間もないときに姑からいわれた、次の
ことばによっています。「ひとりの人を理解するまでには、すくなくても、1トンの
塩をいっしょに舐めなければだめなのよ。」
 ここから、本とのつきあいに転じて「1トンの塩を舐めるうちに、ある書物が
かけがえのない友人になるのだ。」と引き継がれて、読書のすすめになるという
具合です。
 この文章のしめは、「その姑も、そして夫も、じっくりいっしょに1トンの塩を
舐めるひまもなく、はやばやと逝ってしまった。」となります。なるほどみごとに
上手なまとめかたの文章です。

 この本がでたときに、一番かんじたのは、これは林達夫さんの「三木清の思い出」と
いう文章に添えられているラテン語の格言(?)ど同じものであるなということで
ありました。林達夫さんの本では、この言葉を、次のように訳しています。
「友情の務めが果たされるためには、一緒に何斗のもの塩を食らわねばならない。」
 三木清という才能があるけどどこかバランスの悪い田舎の秀才とのつきあいで、
林さんはいろいろと煮え湯を飲まされる思いをしたのかと思いますが、そうした
苦い思い出も含めて、この文章にはあります。このような人とのおつきあいでは、
何斗もの塩を食らうというのが、言い得て妙とおもいました。
小生も世間のつきあいのなかで、この言葉を思い返すことが何度もありましたが、
「塩1トンの読書」というよりも、何斗もの塩を食らうというほうがより辛く
感じるのでした。