このブログのために「建築ジャーナリズム無頼」をつまみ読みを
しています。昨日も記しましたとおり、宮内さんは戦後建築の真の
出発点は空襲で焦土と化した首都の風景があったといいます。
白いキャンバスではなく、黒い画用紙に絵をかくような趣で
ありましょうか。戦後復興から、高度成長、ポストモダンと時代は
かわっても、その時代ごとに代表的な建築家がでてきて、良きにつけ
悪しきにつけて話題となる建築物を残したのです。
戦後の代表的な建築家といえば、丹下健三と前川国男でありますが、
宮内さんは、前者に厳しく、後者の仕事には理解を示します。
丹下さんについては次のごとくです。
「 なぜ東京都の象徴としてパリのノートルダム大聖堂風シルエットが
必要なのか。建築家の独善でしかないのではないか。・・壁面・開口部の
チカチカした無機的表情が、そのグロテスクなマッスをよけい強調して、
みるもの視線を傲然とはねかえす。こわいもんだなあ、とぼくは思う。
その抑圧的権力的記念性の感覚は、あらためて文は人なり、建築も
また人なりを、実感させてやまない。・・・新都庁舎の威容を仰ぎながら、
ぼくはひとつの納得できる答えを得た。じつにみごとな転向のサイクルの
完結ではないかと。」
これと対比する形での前川国男さんについてのくだりです。
「 同じ最晩年の作品でも前川の『弘前市斎場』という小品が声低く語る
ところと、丹下の『新都庁舎』の方向性との開きは、大きくかつ対照的で
ある。たしかに前川作品も変貌してきた。しかしそれは豹変ではなくて、
長い時間をかけた内発的変化であったし、また、歴史の未来からの光に
面を向けようとする賢明な模索の結果であった。
この国の建築の将来のためには、このような対比の意味を尋ねる作業は
欠かせないはずと思う。にもかかわらず、近代建築史専攻の大学人は、
『路上観察学』とやらにはかまけても、このような主題には見向きも
しないようである。」
この文章を読むと権力者を増長させるような空間・装置を提供する
側にも問題があるのではと思ってしまいますが、現在の都知事と比べ、
青島都知事の時には、人々に都庁舎はどのように写ったのでしょうか。