建築ジャーナリズム

 建築雑誌というのがありますが、このような雑誌が、どのような人に
よって編集されているのか考えたこともなかったことです。
最近は、安藤忠雄さんのような人気のある建築家もいることから、この
ような人の特集をすればそこそこ売れるのでしょうが、建築専門誌が
特集を組むときと、「東京人」が建築の特集を組むときでは、おのずと
そのスタンスや視点がことなりますでしょう。
 中公文庫新刊の「建築ジャーナリズム無頼」の著者 宮内嘉久さんは、
戦時中に建築を学び、戦後まもなく建築雑誌の編集者を志したという人で、
建築批評家の先駆者であります。
 批評を交えた建築雑誌というのは、いつころからあったのかと思いまし
たら、「大正末年から続いてきた二つの代表的雑誌」とありましたので、
ずいぶんと歴史が古いということがわかりました。しかし、これらの雑誌は
40年と44年にともに終止符をうって、「この国の建築領域では、約1年の
間、言論空間は空白と化したのである。」となるのだそうです。
たった一年しか空白がなかったというような気もしますが、内部で雑誌の
継続への努力をしていたひとたちにとっては、1年もあけてしまったと
なるのでしょう。
1945年5月25日の夜に東京の山の手が空襲にあって、焦土とかすの
ですが、それについて宮内さんは、次のように書いています。
「 その時目撃した渋谷、青山、原宿表参道一帯の焼け跡の光景こそ、
 じつはぼくのなかの建築ジャーナリズム史の一番芯にある原風景にほか
 ならない。・・・戦後建築の真の出発点は、じつはこの都市の焼け跡、
 焦土の空間にこそあったとみるべきではなかろうか。・・
  都市の廃墟としての空間、それは現に一夜にして街の相貌をがらりと
 変えただけでなく、その後の日本の建築的風景を一変するだけの力を
 秘めていた。同時にそれは日本の近代において、明治維新関東大震災
 次ぐ大きな節目となった。」 

 この文庫本の解説は加藤周一さんが書いているのですが、この宮内さんと
いう人は、独力で建築批評というジャンルを切り開いたひとで、そういうこと
からは、音楽批評における吉田秀和さんのような存在であるといえるので
しょう。