ナンシー関 追悼

 朝日文庫6月新刊でナンシー関「小耳にはさもう」ファイナル・カットがでました。
生前にどの単行本にも収めなかった65本を収録とあります。解説は、ナンシー関
才能の第一発見者 えのきどいちろうさんが書いています。このあとがきを読んで、
このようにして関直美は、ナンシー関になったのかとわかりました。
 2002年6月12日に死亡とありますから、そろそろ命日ではありませんか。
まったくもって、ナンシー関のあとにナンシーなしでありまして、わけのわからない
TV番組が横行している最近でありますが、ナンシーのコメントを聞くことができ
ないのが、まったくもって残念なことであります。
 ナンシーの人物、コメントは、全体としては辛いのですが、多くの人が漠然として
感じていることを言葉で表現します。人物評についての傑作は、朝日文庫にある
「ザ・ベリー・ベスト・オブ・ナンシー関」に収められています。
小生が一番喜んだのは、武田鉄矢についてのものでした。書き出しは次のようです。
「 武田鉄矢が人気者であると思うたび、私は日本という国が嫌になる。武田鉄矢
受け入れるというのが日本人の国民性だとするなら、私は日本人をやめたいと思う。」
 このような文章を読むと、この世の中には武田鉄矢をひいきにする人と、彼の
過剰な演技に辟易としている人に二分することができるのではないかと思ってしまい
ます。もちろん、小生はナンシーと同様、辟易している派です。
 彼女の文章には、ものの見方を教えてくれるのでありますが、そうか、このような
視点からみることもできるのかと思うのです。
本日購入した「ファイナル・カット」のなかには、伍代夏子をまくらにして美人演歌
歌手についてのコメントがあります。
「 最近、美人演歌歌手の似顔絵を四人分ばかり彫る機会があったのだが、資料用の
VTRをコマ送りしていて『使える顔(ちゃんと藤あや子なら藤あや子として成立
している顔)』のパーセンテージの高さに驚いた。この『使える顔』というのは
意外にないものなのである。女優ですらパーセンテージは意外と低い。バラエティ系
ともなると一時間番組で何コマあるか。」
 版画をつくるためにVTRをこまおくりしなくては、でてこない感想であります。
たとえ消しゴムにであっても、カリカチュアをつくるということは、このような
コマ送りの作業をして、使える顔を抜き出すということが必要なのでありますね。
文章と消しゴム版画をあわせて人物批評を行うというスタイルは、ナンシー流ですが、
ナンシーに続く人は、どこかにいるのでしょうか。