藤田敏八への殺意

 本日のタイトルは、ちくま6月号に掲載されている「石堂淑朗」の
文章からです。映画監督の藤田敏八と石堂は、同じく東大教養学部
小さな語学クラスで一緒であったとのことですが、そのときの思い出話を
書いています。
「 新入生の4月頃には何も感じなかった某女に、秋口突如恋心を
抱くようになってしまったのである。しかし、田舎の男子校しか知らぬ
身としてはどうしたら良いのか、身の処し方がわからない。告白したことも
なかった記憶がある。
・・・そんなある日、晴天の霹靂的事件が我が身を襲ったのだ。・・
部活のつもりで新聞部に入っていた。・・ここでしりあったIが私に、
某女は君の語学のクラスメートの藤田に犯されたようだよというのである。
逗子のどこかに遊びにいって強姦されたらしいというのだ。動転した私は
今も細かい記憶がない。
 引き続く記憶は、兎に角包丁を買い込んで藤田の生活する東大駒場寮に
押し掛け飛びかかって刺したつもりが、私は藤田に投げ飛ばされ床に押さえ
込まれていたのだ。・・・
その後、石堂という大男の学生が藤田という同級生を包丁で刺そうとしたと
いう話が狭い駒場の中を巡ったのであろう。クラス内外の空気に異変を
感じられ、私は、すっかり志を失った酒飲み学生に成り下がってしまった。
・・・
 某女は今も健在で女流詩人として活躍中だから実名はだしがたいが、本人の
迷惑を別にすれば実名をださねば反響がつかめないままである。」 

 この文章を読んでみて、これって藤田敏八が一躍メジャーになった
八月の濡れた砂」の作品世界ではないかと思ったのです。石堂も藤田も
それぞれが社会的な地位についている父親の婚外子ということで、成績は
優秀であったのですが、ちょっと屈折しているのでありました。
 この場合、藤田と石堂にはさまってくる女流詩人というのがちょっと気に
なるところです。この年代で東大に在籍した女流詩人というと、Y Sという
人くらいしか思い当たらないのですが、この女流詩人はすでに亡くなって
いますので、健在という記述には反します。石堂がぼけたふりをしてあえて
煙幕をはったのか、それとも現実に、こうして活躍の女流詩人がいるのか
本当のところはどうなのでしょう。