「後方見聞録」

 俳句などはほとんど読まないのですが、どういうわけか加藤郁乎さんの本だけは
何冊か購入しているのです。とはいっても、小生が購入したのは雑文集でありまして、
加藤さんの交友録のような内容のものを好んでいるのでありました。
最初に購入したのは、コーベブックス刊「後方見聞録」で、当時2500円という
ものでした。限定1500冊ですし、昭和51年のものですから、相当に値段が
高いものでありました。これをどうして購入したかというと、これには吉田一穂さんに
ついてのものがあったからでしょうね。( コーベブックスの元版は、現在どの
くらいのねだんかと思ってネット検索をかけましたら、ほとんど30年前と値段が
かわっていなくて、気の毒に思いましたです。)
 いまになって思いますと、土方巽についての文章があって、そのなかには目黒の
アスベスト館で夜更けに軍歌の大合唱をしたはなしなどがあるのでした。土方が
亡くなったのは、いまから20年前ですから、ちょうど小生が転勤で東京暮らしを
しており下目黒のアパートに住んでいたころのことです。アスベスト館のほうに
いってみようと思って、油面のほうへといって、そこにたどり着いたことをおほえて
おります。(人手に渡る話が聞こえてきたのも、住んでいたころでしょうか。
なんといっても、あの時代はバブル期でありましたから。)
 この本にあるのですが、アスベスト館のメンバーが、活動資金かせぎのために、
大鳥神社のなかで氷屋をやっていたということですが、もちろん、小生のころには
そのような店はありませんでした。(お不動さんは、毎月縁日があるのですが、
大鳥神社は、お酉さんの時以外には静かな神社さんでした。)
 先日に、どなたかのブログをみていましたら、学研M文庫にはいりました増補版の
「後方見聞録」についての記述がありまして、そこには、コーベブックス版以降の
増補として、「点鬼簿追懐」(森谷均さんや亀山巌さんについて)と飯島耕一
矢川澄子さんがはいっているようなことを知りました。
 そして、そのブログでは、矢川澄子さんについての文章がはじめて知ることで
驚きとありました。これは矢川さんと渋澤龍彦が結婚していたということでは
なく、二人が結婚しているときに渋澤宅を訪問して、主人が酔いつぶれて眠って
しまったあとに、「喜んで一穂の話をしていううちに酒宴の片づけをする夫人を
抱き寄せた。かたわらには夫君が泥のごとく眠りこけている。全裸にならなくても
慇懃を通じる方法はあるから、そうした応対率直の方法で夫人を愛した。造物主は
一切衆生の性愛を含む大愛をつくられ給うたのであり性愛の伴わぬ愛なぞあり得ない。」
これに先だって、「男女の機微は当事者だけの秘密にしておけばよいので、
改まってまでしたためるのは野暮と承知している。しかし、この夜の一件をそのままに
しておくとわれらの間につまらぬ三角関係でもあったかのように勘ぐられるのも
小癪に障るし、忘友の名誉のためにも真実を少々書いておく。」とあります。
 矢川澄子さんは小柄でかわいらしく、才能も豊かでありましたが、渋澤と一緒に
なったことが、普通の女性として生きることの芽をつんでしまったともいえる
でしょう。まあこれだけのひとでありますからして、普通の奥様でおわれる
はずがなしですが。
 もっと上手にやれば、多田智満子さんのように、詩人にして翻訳者、大学
教授で、芦屋夫人なんて生き方もあったのかもしれません。