林達夫夫人

 大塚信一さんの「理想の出版を求めて」の第1章は「小僧の修行」と
なっています。大塚さんは39年生まれで、東京オリンピックの前年で
あります63年から40年間ほど編集者(最後は岩波書店の会長)をして
いましたが、いまから40年ほどまえには、岩波書店にも小僧といわれる
職員がいたということでしょうか。
 岩波書店は古本を売りながら出版事業をはじめて、最初は小林勇さんの
ような小学校をでてすぐに修行にはいったひともいましたので、この時代
には小僧さんといわれるような働きの人がいたと思われますが、そのような
会社が、いつころから学士さんを採用するようになったのかは興味のある
ところです。(岩波の社史をみたら、わかるのでしょう。 
 大塚さんが60年代の中頃に初めて林達夫さんの鵠沼の自宅を訪問した
ときの話題です。 
「玄関で呼び鈴を鳴らすと、林夫人がでてこられた、もちろん初対面。
夫人は、『岩波書店の大塚です』と頭を下げた私の顔を見て、奥の方に
むかいイワナミの小僧さんがきましたよと声をかけた。」 
 林達夫さんの奥さんは、横浜の貿易商のご令嬢とかで、その姉妹は
和辻哲郎などに嫁いでいると聞いたことありましたが、この「小僧さん」と
いう呼び方には、つくづくとその時代に編集者がおかれていた位置のような
ものを感じることです。
 むかしの文人たちの集合写真の紹介にあって、ひとりとんで何某とあるとき、
とばされているのはたいがい編集者とありましたが、菊池寛のようなスーパー
編集者を別にすれば、ほとんどは「小僧あがり」といわれていたのでしょうか。