田中小実昌さん2

 昨日に田中小実昌さんを話題にしたのですが、そのあとで
田中小実昌さんで検索をかけましたら、なんと本日4月29日が
誕生日でありました。
1925年(大正14年)4月29日が誕生日ということですから、
生まれた時には、まだ「天長節」ではなかったのですね。
小生がこどものころは(もちろん50年代末から60年代はじめ)、
まだ天長節とか明治節ということばが、ふつうに使われていて、
戦前にはそれをお祝いする歌まであったのでした。最近は、ほとんど
歌われることもないのでありますが、「今日のよき日は おおきみの」と
いうのが天長節の歌でした。
( ちなみにこどもころに、おんなのこたちがゴム飛びをするときに、
きんし輝くニッポンのという紀元節のうたをうたっていましたっけ。
これはちょっとかわった地域でのことであるかもしれません。)

 小実昌さんは、自分が昭和天皇と同じ誕生日であるということを、
どのくらい意識していたのかと思います。自伝的な文章では天長節
うまれたと書いてはいますが、彼の育った環境では、天皇よりも
キリストの存在がずっと大きかったので、とくに天皇と誕生日が
同じということに意味は持たされることがなかったようです。
 雑誌「ユリイカ」の「田中小実昌の世界」という2000年の
臨時増刊号に色川武大さんについて書いた「しつこくきいた」という
文章がのっていますが、ここで田中さんは、「新宿の酒場で色川武大
さんとよくいっしょになっていたころ、ぼくは、色川さんのお父さんの
ことを聞きたがった。色川さんのお父さんはもと海軍士官で、第一次
世界大戦のとき、小さな艦の艦長として、ドイツ領であった南洋諸島
作戦にでかけたこともあるとかきいた。・・・・
 色川さんとお父さんとは、ふつうの父子ほど似ていないように
見えながら、なにかぴったりおなじだったのではないかと、ぼくは
思った。」

 帝国軍人を父にもって中学からドロップアウトした色川さんと、
キリスト教の牧師を父にもって、親の期待を裏切ってしまう小実昌さん
には、ずいぶんと共通点があるようです。とにかくどちらも、驚くほど
国粋主義または天皇からの距離が遠いことであります。この時代の
インテリは、左翼ということで天皇からの距離をとったのですが、
このおふたりは、芝居小屋とか盛り場にもぐることによって、
天皇からも、キリストからも距離をとることになったのですが、
ほとんど永井荷風のようでな生き方でありまして、10代くらいで
取り組むにはきわめて困難な道となるのでした。