これから通夜に

 当方より4歳年長のいとこが昨日に急逝しまして、本日はお通夜となりま

す。本をたくさん読んでいる人でありましたが、気難しくて、あまり社交的

ではなかったことから、本の話をするなんてこともあまりなしでした。

たぶん、たくさんの本は自宅に置かれているのでしょうが、遺された奥様は

あれの処分に苦労されることでしょう。(子どもさんはいかなかった。)

 本は生きているうちに処分しておいてくださいよとは、当方が日頃から家

族から言われていることですが、時期がきたらと言うものの、このように急

に亡くなるということもありですね。

 それはさて、図書館から借りている草森紳一さんの「記憶のちぎれ雲」を

なんとかページをくくり終えました。最初に読んだのは古山高麗雄さんにつ

いてのくだりで、ついで田中小実昌伊丹一三と進み、最後にのこしたのは、

冒頭におかれた真鍋博さんについての章となりです。

 真鍋博さんは、一世を風靡したイラストレーターさんであります。2000年

に亡くなったとのことですから、最近は名前を目にすることもなくなりまし

たね。 

 草森さんが真鍋さんを冒頭で話題にするのは、真鍋さんから声をかけられ

て、出版社に勤務しながら文章を発表することになったからです。真鍋さん

がいなくとも、草森さんは文章発表するようになったのでしょうが、その

発表の内容とか、発表の場はよほど変わったことになったことでしょう。

 それで真鍋さんについてですね。草森さんは、次のように書いています。

真鍋博氏は、SF作家小松左京とともに、『未来学』の旗手であり、その

武器は、目に見えるものとしてのイラストレーションであったが、それは、

氏の『日本』意識といってもよいが、それはそのまま国家スケールでの政治

経済への積極的参画にもつながっていった。私は子どものころから『国家』

という虚構に不信を抱いていたので、真鍋氏の方向に双手をあげて賛成しか

ねるというところもあったのは、事実であり、裏切られねばよいがという

あつかましい老婆心が、どこか心の片隅にあった。」

 1970年に大阪万博があったころが、真鍋さんにとっての絶頂期ということ

になるのでしょうか。草森さんが真鍋さんと出会うのは、草森さんが編集者

となってまもなくの1962年頃のこととあります。

 当方が関心のある真鍋さんというと、書肆ユリイカと仕事をしていた頃の

ことだなと思って、草森さんの文章を見ていましたら、それについてさらっ

と書かれていました。

トムズボックスから1989年に、未見だが、真鍋氏の『ユリイカのカット

57ー61』が出版されている。」

 そうなんだよな、真鍋さんは書肆ユリイカ伊達得夫さんが亡くなった後、

作風がそれまでのすこし暗い目のものから、明るいものに変わっていったと、

どこかに書かれていたのだよな。あれが書かれていたのは「詩人たち」の

あとがきではなかったろうかと、本をチェックするのですが、これがすぐに

は見いだせずです。

 「詩人たち」の後書きで大岡信さんが「雑誌『ユリイカ』に協力した画家

たちの名を録しておきたい。表紙では真鍋博(21回)、伊原通夫(6回)」

とあって、真鍋さんの表紙は群を抜いて多いのですがね。

 当方が読んだつもりになっているのは、どこにあったものでしょう。

詩人たち ユリイカ抄 (平凡社ライブラリー)

詩人たち ユリイカ抄 (平凡社ライブラリー)

  • 作者:伊達 得夫
  • 発売日: 2005/11/10
  • メディア: 文庫
 
記憶のちぎれ雲 我が半自伝

記憶のちぎれ雲 我が半自伝

  • 作者:草森 紳一
  • 発売日: 2011/06/23
  • メディア: 単行本