「僕の昭和史」

 今年から4月29日は「昭和の日」となったとのことだが、これは
しりませんでした。小生の仕事でつかっている日程を書き込む手帖は
ドイツ製ということもありまして、4月29日には「緑の日」とある
のでした。かっての「天皇誕生日」を国民の祝日とするときに、
なんらかで「昭和」にこだわったのでしょうが、ストレートにはできずで、
一度「緑の日」ということで迂回してから、十数年かけてここまでたどり
ついたかな。
 いろいろな昭和史というのがあるのですが、時の為政者はどうしても
天皇を中心とする歴史にこだわりたいようです。朝日新聞からは昭和天皇
侍従であったかたの日記が刊行されますが、天皇の影響力が大きかった
時代に青春時代をおくったひとたちには、別の昭和史がありますでしょう。
 5月の連休は、すこし昭和を生きた人の本を読むことにします。身近に
あったものを手にしてますが、それは安岡章太郎の「僕の昭和史」であり
ます。この本は、大正天皇が亡くなって、昭和という時代が始まったとき
から書き出しになります。

「 僕の昭和史は、大正天皇崩御と御大葬の記憶からはじまる。・・
 しかし僕にとって、なにより残念だったのは、御大葬ノ歌を教えてもらえ
なかったことだ。幼稚園の友達I君の姉さんは、小学校二年生で、この歌を
一人でよく口ずさんでいた。しかし僕らが、それを教えてくれとたのむと、
絶対にダメだという。おそれおおくも天皇陛下がおかくれになった歌を、
みだりに教えるわけにはいかないというのである。それは僕には、不当な
差別であるように思われた。僕らだって、あと二、三ヶ月すれば、小学校に
あがるというのに、なぜ僕らだけがあの歌をうたってはいけないといわれる
のか。 
 大げさなことをいっていると思われるかもしれないが、後年、戦争の厳しく
なった頃、ぼくらは実際に二、三ヶ月の生まれ月の違いが生死の分かれ目に
なるという妙な運命にあわされた。まして、一年、二年という年齢の違いは、
平時の十年、二十年に匹敵する差違を、われわれ日本人同士の間にも生むことに
なったのだ。」
 
 安岡章太郎さんの父親は軍人でありましたが、安岡さんは軍国日本のおち
こぼれでした。安岡の悪い仲間である古山高麗雄も、日立のエリート社員を
父にもつ倉田さんも、みんな役に立たない人でした。古山高麗雄の文春文庫
からでている戦争三部作なども、このお休みには手にしてみることにしましょう。
古山作品で描かれる戦時下のあっての倉田さんのすざまじいまでのおちこぼれ
かたには、自分がこのひとの親であったら、どうしましょうと思うほどのものに
なっているのです。
若くしてなくなった倉田さんが「昭和史」を書くと、どのようなものになったで
ありましょう。