本日に、納戸のなかをみておりましたら、79年8月10日
「朝日ジャーナル」に掲載された「田中小実昌と西江雅之」の対談切り抜きが
でてきました。この対談の見出しには「ヒマを見つけて読むか 読むヒマを
見つけるか」となっておりますが、ここでの発言はまさに田中小実昌さんの
面目躍如であります。
ちなみに田中さんは、この79年7月「ミミのこと」で直木賞を受賞した
ばかりのところで、この時点では、谷崎賞を受けるなんて、すこしも思われて
いなかったのです。
以下は、田中さんの発言です。
「 何かするために読むということがほんとにないんです。全くの楽しみのために
読むのです。朝日ジャーナルはおそらく若い人がお読みになると思うんですけど、
年とってなんにもすることがないなんて、バカな年よりだみたいなことをいうで
しょう。ハイキングにいけなくても、家で寝ころんで本ぐらい読めるだろう。
本はこれだけあるんだからというんですけど、本があまり読めなくなる、年とって
くると。本を読む根気がないんですよ。私はいま54歳ですけど、ぼくのまわりの
人もそういっている。これだけたくさんの本があるのだから、面白い本もいくつか
あるだろうというんだけど、あまりないんだよね。・・・
きょう、出かけるときに、本は何をもっていこうか、などと思う。電車の中で
読むのに。ところがこれが入っていた。キルケゴールの不安の概念。私の中学生
のころからはやった、キルケゴールというのは。これを電車の中で読んだんだけど
さっぱりわからない。中学の時からさっぱりわからない。これもおそらく二度か
三度読んでいるはずですよ、それがわからない。きょう考えたんだけど、むだ
じゃないかなと。明らかにむだ。」
田中小実昌さんという人は、ミステリーの翻訳から中間小説でデビューして、
最後は哲学小説のようなものを書くのですが、これがおそろしく普通の言葉で
かかれていて、とんでもなく深みを感じさせるのでありました。
田中小実昌さんは、「バスにのって」とミステリー翻訳だけではないでのです。