鈴木正さんによる「文化こそ戦争を滅ぼす」からであります。
10月24日朝日新聞夕刊にあったものですが、この文章は「11月3日の『文化の日』
は日本国憲法の公布日にちなんでいる。」とはじまります。
戦前の日本において「11月3日」というのは「明治節」とよばれていましたが、
さらにさかのぼると「明治期には天長節だった。当初は旧暦9月22日で、明治6年の
改暦以降は新暦に換算した11月3日となった。」ということになります。
鈴木正さんは「文化の日」は、「日本国憲法の公布日にちなむ」といっています。
たしかにそのとおりでありますが、「文化の日」の裏には戦前の祝祭日を、そのまま
戦後の日本に残そうという勢力もあったようです。( 後年になると2月11日が復活
しますが、これは神武天皇の即位日でありました。この祭日の復活は戦後20年を経過
した時のことです。)
第二次大戦敗戦後まもなくは戦争に従軍した人や身近に戦死したが、あちこちに
いらして、とても戦前の体制を翼賛するような気分ではなかったことでしょう。
経済の高度成長とあわせて、もう戦後ではないというかけ声が聞こえてくるのでした。
ちなみに、2月11日を復活させた時の総理大臣は、佐藤栄作さんですからして、現総理
の大叔父さんでありました。
「期待される人間像」なんてのが答申されたのも佐藤栄作総理時代でありまして、
現総理の理想とするのは、祖父と大叔父が目指した政治の方向性であるようです。
あちこちでいわれるように、対米従属は徹底するけども、その昔の占領時代に
公布された日本国憲法には否定的という立場です。
鈴木正さんが紹介する金森徳次郎さんのことば「文化こそ戦争を滅ぼす」というの
を、よみかえると「反文化こそ戦争を助長する」となります。
鈴木さんの文章には、「金森は明治19(1886)年に名古屋で生まれ、一高・東大法科
を卒業したエリート官僚だ。戦前に法制局長官となった。だが、天皇の権力を絶対
視せず、内閣や議会とともに政治を行う最高機関とする憲法論が災いして退官し、
戦争中、晴耕雨読の暮らしに耐えた苦難の日々を経験した。」とあります。
内閣法制局長官というのは、ごく最近に話題となったポストであります。
これまた金森徳次郎さんとは、まったく違った考えの持ち主が現総理から任命された
のですが、現総理の祖父や大叔父の時代には反対勢力というのが、それなりに機能
していたのですが、この時代は権力にすり寄る勢力ばかりでありまして、なんとも
はや情けないことであります。