野村一彦という人2 

  野村一彦さんの日記が刊行され、その書名は、「会うことは目で愛し合うこと、
会わずにいることは魂で愛し合うこと。」というものですが、これは長くてわかり
にくいものです。ほとんど自費出版のようなかっこうででたものかと思いますが、
もっとわかりよい書名にすればよろしいのに。
 この本には、口絵に「野村一彦」さんのポートレートがのっていますが、書架を
背中にチェロを手にして写っている野村さんは、とてもモダンで、現代のひとと
いっても通りそうであります。
 なのに、この野村さんの書く日記のシャイで、古風なことです。この人の書くのは
その時代としては、まったく普通なのでしょうが、いま読むととんでもなく不思議
です。
「7月4日以来たった二度、それもわずかに姿を見る程度に会った切りでいるのに
愛しあい、信じあっていられるのは本当に感謝すべきことだと思う。1年前の僕には
こんな愛とこんな状態はまったくわからず又予想できなかった。」
ほとんどあぶない青年の、妄想の世界の話のように思えるのでした。
 それで、この野村青年のことを、神谷美恵子さんはどのように思っていたかで
ありますが、「近年、この恋愛と一彦の死が美恵子の一生に決定的な影響を与えたで
あろうことが指摘されはじめています。実際美恵子は、一彦の死後、命日に野村家を
訪ねる習慣をながくもち続け、また一彦が亡くなったとき、一生結婚しないで
生きていくと語っていたことも伝えられています。」

 戦後に結核が死病でなくなってから、文学が純粋さを失ったとかいうのを聞いた
ことがありますが、この野村一彦さんは結核に倒れなかったら、どのように成長
したのでありましょう。