本日で連休のお休み(連休はお休みがつらなっていることですね)が
終わりとなりです。本日までに図書館から借りているたくさんの本のうちの一冊
でも読もうと思っていたのですが、これがまるでだめであります。
主に手にしていたのはハンセン病療養所に関するものでありますが、やはり
重たいものでありまして、なかなかきびしいことです。
療養所の自治会といえば、結核療養所でそのような運動があったことは
承知しておりましたが、それ以前に(なのかそれと並行するかたちでなのか)も
昭和の初めのことのことですが、療養所には博徒がいて、幅をきかせていま
したが、そこにキリスト教信者と共産主義者がはいってきて運動を展開すると
いう世間とは隔絶されていながらも、やはり社会を形成しているということがわ
かりました。
まだ先は長いのでありますが、ハンセン病といえば光田健輔さんであります。
神谷美恵子さんも光田先生のことを尊敬していたはずですが、この本を読み
進めましたら、光田医師が活動していた時代のことがすこしはわかりますで
しょうか。
あまりにもページをすすめることができないので(原因ははっきりしていて、
読書ではなく動画をみる時間が多いからであります。you-tubeで音楽動画を
見ていますと、あっというまに1時間がたってしまいます。)、これはいかんと
先日にブックオフで購入した増田俊也さんの「北海タイムス物語」を読むこと
になりです。
この作品の主人公は社会部の記者志望で、あちこちの新聞社をすべて落ち
て、北海道の地方紙記者となるのですが、最初の配属が整理部ということで、
ひどくくさるのですが、そのなかで新聞が好きで好きでという工員あがりの記者
さんに鍛えられて、新聞記者としての覚悟を固めていくということになるので
しょうか。
これを読んでまず感じるのは、新聞社というリベラルと思われる職場における
職種ヒエラルキーのことですね。大卒の記者が上にいて、一番したには印刷を
担当する工員さんがいるという厳然たる事実。
今はどうか知りませんが、そういえば北海タイムスよりも発行部数の多かった
北海道新聞に入社した小檜山博さんは工業高校を卒業してですから、最初は
印刷工員さんであったはずです。その後、現場から新聞社が刊行する月刊誌の
編集部に移って作家活動をしていたと思います。
もちろん、小説家としてそこそこ売れても、工員あがりと社内では思われてい
たはずです。
増田さんが北海タイムスに入社したのは、1989年くらいですから、小檜山
さんは新聞社を辞めていたはずですが、その頃にあっても、いまだ士農工商的な
雰囲気は新聞社にあったのだなと思ったりです。
大マスコミの記者さんたちが、ネット上でひどくたたかれるのは、こういうとこ
を感じとる人がいるからでありましょうか。