犀の本(晶文社のこと)

 「本の雑誌」5月号が手元に届きました。最近は、本を購入したり、定期で
購読している雑誌が届きますと、このブログで取り上げる題材がないかという
観点から中身をチェックしてしまいます。
本の雑誌」では、坪内祐三さんの「三茶日記」と津野海太郎さんの「サブ
カルチャー創世記」というのが注目でして、小生のブログでは、この2つから
題材を数回いただいております。
今月も、津野さんの文章に反応をしたのですが、まずは、これまでにどのような
ことを書いてきたかをチェックしなくてはいけません。小生程度のブログで
ありましても、過去にどのように書いたかを忘れがちになっておりまして、
同じ事を、なんどもぐたぐたと書きそうであります。(そのはなしは、何度も
聞いたといわれそうでありますからして。)
 今回の津野さんの回顧録の舞台は、70年ころの「晶文社」であります。

「 新しい連中がふえたことで私が全体のとりまとめ役をひきうけざるをえなく
なった。それでもまだ社員にはならなかった。本業はあくまでも演劇、編集は
バイトと考えていた。・・
 ある夜、片岡義男さんと飲んでいたら、晶文社は会社じゃないね。と片岡さんが
いった。じゃんなんだい。クラブでしょう。
 ほかの出版社は会社だけど、それにくらべて晶文社は大学のクラブかサークルの
ようだというのだ。・・・
 その後、晶文社はついにしっかりとした経済的な基盤をつくれないまま今日まで
来てしまったという点がある。本来であれば私が早くに中村さんのあとを引き受ける
べきだったのかもしれない。だが、その私は役員はおろか、社員にもなろうとも
しない。そのため中村さんにかかる負担が途方もなく大きくなった。」

 津野海太郎さんが、晶文社の編集役員として辣腕をふるっていたのはしって
いたのですが、このようにバイト編集者であったとは知りませんでした。
中村さんというのは、もちろん社長であって、昨年かになくなった中村勝哉さんの
ことでありますが、中村社長について書かれた文章があったはずと思い出したので
ありますが、誰のどこにあったものであったか。
 昨日に「考える人」20号の表紙に写っている「長谷川四郎全集」は晶文社
ものですが、この長谷川四郎さんと、中村さんは、同じ北海道は函館の出身であった
はずです。もともとは、学生時代にやっていた家庭教師の延長で、出版に手をそめた
のでした。中村さんが経済的な基盤においていたのは、「晶文社出版」でありまして、
ここからは「受験ガイド」のようなものがでていて、これは本業の出版よりも
数倍の収益をうんでいて、このあがりで赤字の文化出版を成立させていたのでした。