「考える人」20号表紙

 雑誌「考える人」の最新号の特集は「短編小説を読もう」であります。
このような特集は、やはり押さえておかなくてはいけませんです。以前は、
この雑誌の表紙は「イラスト」でありましたが、前回19号から表紙に
写真が使われるようになりました。今回は、どなたかの書架写真のようで
ありますが、この表紙の書棚にならぶ本のことをながめるだけでも、
けっこう楽しめるものです。
 「本の雑誌」のコーナーに、書棚にある本の背表紙と書名から、その
本棚の持ち主を推理するというものがありました。「本の雑誌」のことで
ありますから、いろいろと想像たくましくして、推理の過程をいろいろと
かたるのでした。
それにならっていくと、今回の「考える人」の書架は、どのような読書人を
想定してつくったものでありましょうか。この表紙写真を見て、だれかの
本当にある書架を写したものであるかと思いましたが、どうもこれは作った
本棚であるようだと考えを変えました。いかにもありそうでありますが、
やはり、ちょっと不自然でありますものね。
 このくらいの本を揃えているひとであれば、もうすこし書棚はぐちゃぐちゃで
あるでしょうし、一人の作家のものがすくなくても数冊はならぶことになり
ますものね。このような視点からながめてみますと、これは「ある村上春樹
ファンである読書人の本棚」をつくってみましたということになるのでしょうか。
 この表紙にある書棚に並ぶ本の背中を見ていると、これはあったとか、これは
手放したものであるとか、個々の本との出会いなどを思ってしまいます。
洋書はまったくお呼びではありませんので、日本語の本についての話をすこし。
 最上段には吉田健一「書架記」がありました。このような場所におくに、この本
以上のものはなしです。小生の書架は、これと反対側の端に「書架記」が鎮座
しています。愛着のある本ですので、焼けるのがいやなのですが、「書架記」は
書棚の守り神です。
 この段で一番古書価が高いのは、「徳山道助の帰郷」ですね。これは小生は
作品集で所蔵していて、単行本はもっておりません。上林暁さんについては、
先日の「展望」のときにふれました。
 山川方夫珠玉選集上下がありました。これは冬樹社からでたものですが、
全集ほかでは作品を読むことができないときに、この選集がでて、まずこの
上巻を入手して「煙突」という作品を読みました。これを読んだ翌日には冬樹社版の
全集を求めるために古本やへとむかっていたのでした。そうした意味では忘れられ
ない選集です。
 久坂葉子の作品集は、富士正晴さんのとなりに並べればいいのに、この距離感は
なんであるかとか、須賀敦子さんと堀江敏幸さんがとなりあっているのは趣味が
良いとか、野呂邦暢さんの「小さな町」はみすずの大人の本棚シリーズではなくて、
元版であればいいのにとか、いろいろとコメントをつけるのでした。
一番下の段の左端に「長谷川四郎全集1」があるというのも、小生を喜ばせました。
この段は、ほかは外国文学ばかりでありますので、どなたかが書いた「長谷川四郎
外国文学のなかに置く」というエッセイを意識したものでしょうか。
 そうこうしながら、この表紙写真をみていましたら、この表紙の真ん中にある
緑の四角で隠されている2段目にはどのような本があるのあかというのが気に
なるのでした。ここには、なにがおさまっているのでしょうね。
小生の推理では、「庄野潤三」「小沼丹」のみすず書房からのものが隠れている
ように思うのでした。もちろん、これは「大人の本棚」のものでして、そうか、
この書棚は、「大人の本棚」をモチーフしたものであるかと合点するのでした。
「新潮社」の出版物ではなく「みすず書房」のものを前面にだして表紙をつくるとは
さすがに新潮社は太っ腹で、よろしいことです。