季刊「現代芸術」 みすず書房

 「新日本文学」に参加している文学者たちは、ほかにも課題別に別の会を
結成して雑誌を発行したりしています。このような形で、どのくらいの雑誌が
でていたものであるのか、「新日本文学」歴史をまとめるだけでもたいへんな
ことであるのですから、別の雑誌が、どのくらいあったのかはよくわかりません。
 1959年にみすず書房より、季刊「現代芸術」というタイトルの雑誌がでて
いました。編集人は佐々木基一 目次には関根弘杉浦明平野間宏花田清輝
富士正晴といった綺羅星のような名前がならんでいます。
 この雑誌では、「現代芸術新人賞」というのを募集しておりまして、その募集の
口上には次のようにあります。
「 一切の芸術至上主義と一切の大衆追随主義を排した、真の意味の大衆的芸術の
想像は、大衆の中にひそむ、清新な感動と大胆な実験にみちた創造へのエネルギーの
発見なしには達成できません。ここに本誌はみ、みなさまの力作をお待ちしており
ます。」
 この賞の審査員は、滝口修造佐々木基一野間宏、阿部公房、花田清輝
長谷川四郎の6人ですが、第一回目は佳作3作品で、入選なしであったと報告が
のっているのでした。
 今から50年も昔の雑誌になりますが、編集はともかく、みすず書房がこのような
雑誌の刊行にかかわっていたことい驚くのでした。
小生の手元にあるのは第二号ですが、59年3月の刊行となっています。60年と
いうのは安保改定の年で、その前年ですから、これから社会は騒然としてくるのでした。
 この雑誌の編集後記は、佐々木基一が書いているでしょうか、次のような文章が
あります。
「はじめは華々しく、美辞麗句に飾られて発足した運動が、たちまち空気のぬけた
風船のようにしぼんでしまう例を、わたしたちはこれまで何回も見てきたが、
わたしたちの芸術運動は、その徹を踏まず、徐々にしりあがりに成果をあげてゆき
たいと思っている。」
 「芸術運動」というのは、何をもたらしたのかですが、この後記にあるような
「尻上がりの成果をあげる」ことはできたのでしょうか。