「通り過ぎた人々」あとがき 小沢信男


 小沢信男さんの「通り過ぎた人々」みすず書房 のあとがきには、「新日本文学会
いっても、お若い方々はおおかたご存じないでしょうな」とあります。1945年末に
発足したから「新日本」なのですが、たんなる同人誌ではなく、文学・文化運動を
通じて社会変革を目指す団体ということになるのでしょうか。そのため、政治との
関わりが密になって、組織内部での対立と分裂なども経験することになったのです。
「1960年代に大学でたてでボッと編集部員に入った津野海太郎が、そのころの
幹事会を回想して現代日本文学全集の背表紙が、ずらあと並んだようだったなあと、
いつか目玉を丸くしてましたが、なかば冗談にせよ、そう言えた。」
 中野重治花田清輝長谷川四郎佐多稲子等枚挙にいとまなしで、そのような
ひとについては、小沢さんは評論のようなスタイルや追悼文の形で書いていますから
して、「新日本文学会」が解散となったいまとなっては、「いまさら綺羅星で飾って
みてもなんになろう。」ということになるのです。
 この本では積極的に無名で終わった文学者、運動家についての人物スケッチを
行います。「古賀孝之」「菊池章一」「庄幸司郎」という人たちが、非綺羅星
代表的な存在として、取り上げられています。
「古賀孝之」さんは、この文章ではじめて知った名前でした。
この人には「素町人ものがたり」(創樹社)という作品集があるのだそうです。
これには八篇の短編が収められているのですが、本のタイトルになっている作品名は
ないのだそうです。「素町人というのは、元来、江戸の庶民のことです。」と
古賀さんは、書いているとあります。この「素町人」という言葉への、こだわりは
なぜかということで、小沢さんは、古賀さんの次の発言を紹介しています。
「 あるとき中野重治さんが、素町人のごときもの、って切り捨てるように書いて
いてね。一番尊敬している文学者の言だから、参った。ひでえな、じゃおれは、
その素町人だと」
 同じ運動体のメンバーでありますから師弟関係ではなく、一応は対等でありまして、
そうしたなかで大文学者とほとんど同人誌レベルの作家は、その存在において対抗し
うるというのが建前です。普通であれば尊敬が高じてしまって絶対崇拝に陥って
しまうのですが、どっこいこちらにも意地があるという心意気です。
古賀さんのような存在の人が少なくなって、運動体としての「新日本文学会」は
力を失っていくことになったのでしょうが、それよりも運動のなかにこのような
緊張があったということを、後世に伝えていくのが自らの役割と小沢さんは強く感じて
いるのでしょう。