「展望」の思い出

 粕谷一希さんの「東京あんとろぽろじい」を見ておりましたら、かって筑摩書房
からでていた「展望」についての文章がありました。
 その昔には、総合雑誌というくくりでかたられる雑誌がありましたが、これは
時評があって、哲学めいたものがあって、文芸作品ものっているということで
しょうか。その代表的な存在には「世界」(岩波)、「中央公論」、「展望」
筑摩書房)がありました。「世界」、「中央公論」はいまでも健在(?)である
ようですが、「展望」は78年に休刊となって、今にいたっています。
先日に押入を整理しておりましたら「展望」が数冊でてきましたが、小生には
「世界」「中央公論」よりも「展望」が肌合いがあっていたように思います。
 たぶん、それは良質な文芸作品が掲載されていたことや、鶴見俊輔さんなどの
文章が頻繁にのっていたことと関係がありでしょう。
 「展望」を創刊時から見ている粕谷さんは、「展望」の思い出を次のように書いて
います。
「 敗戦直後創刊された第一期の展望は、高度で新鮮な文化雑誌であった。私は
それが休刊になるまで毎号愛読した。展望だけが同時代の状況への窓であり、私の
感覚と趣味は展望によって養われたといって過言ではない。・・・
 たとえば、あるときは和辻哲郎の長編論文と永井荷風の創作だけを一挙掲載して、
ほかはなにもないという思いきった雑誌づくりをした。けれども、もっとも感心した
のは、この雑誌のマルクス主義への態度であった。」
 
 さすがに、第一期の「展望」というのを、小生は同時代に眼にしてはおりません。
第二期は、もうすこしあれこれと内容がもりだくさんであったようです。
 小生が「展望」で一番印象に残っているのは、上林暁さんの小説がのっていた
ことでしょうか。すでに寝たきり生活となっていたわけですが、左手で書かれたと
いうか、妹さんが口述筆記しての作品が「展望」にありました。
「中学一年生」という、自宅を離れて旧制中学での生活を自宅へと手紙で報告する
という書簡体小説でありますが、もともと書簡体というのが好みであったせいも
あって、いっぺんに好きになったものです。
 あの時の、上林さんはおいくつくらいであったのでしょう。中学一年生の時の
ことを、じつにみずみずしく透明な筆致であったのでした。文字通り心洗われる
小説でありました。
たしか、この作品は、そのあとで、短編小説集「ジョン・クレアの詩集」に収められたの
ですが、ずっとあとになってボナンザというところからでていた「本の本」という
古書入札欄のある雑誌の入札を利用して入手したのでありました。
 第二期の「展望」は、78年に「筑摩書房」が会社更生法の適用を受けたことで
お休みとなってわけです。復刊の話はないことはないのでしょうが、筑摩書房は、
「頓知」なんて雑誌を創刊して、すぐにやめてしまったのですが、雑誌はなかなか
難しいのでありましょう。