星めがね 3

 本日は、時節柄でありますが、職場の大忘年会でありました。けっこうたくさんの
人が働いているのでありますが。一堂に会するとこんなにも人がいたのかと思います。
それと、知らない人が多かったのにも驚きました。
 というわけで、本日はすこしアルコールがはいりました。帰宅したのも遅いので
ありますが、すこしうとうととしてから起き出して、iBookにむかって本日の更新です。
 すこし手抜きでありますが、困った時の丸谷頼みでありまして、昨日に続いて、
「星のあひびき」からです。
 同書には「文学を忘れた綜合雑誌」という文章が収録されています。これは2008年
11月22日の朝日新聞に掲載されたものです。ということは、初出の時に眼にしている
はずでありますか、この本で初めて見たような感じを受けました。どうして、こうも
すっぱりと忘れることができるのでしょう。
「綜合雑誌」であります。この「綜合」という言葉にこだわりがでています。
 ちょうど、この年に終刊となった雑誌があって、それから書き出されます。
雑誌の場合、ほとんどは廃刊に近いのですが、いつかまたその雑誌を復刊させる日が
くることがあるということで、休刊とか終刊とかいうのでありましょうか。
「『論座』と『月刊現代』が終刊になるといふので、綜合雑誌のことがあれこれ論じ
られる。しかし近頃のあの手の雑誌は果たして綜合雑誌だらうか。あれは政治と経済の
雑誌である。それも政局と景気が大事な話題で、もっと広い視野、正統的な態度で文明
一般を扱うことはしてゐない。
 綜合雑誌が栄えたのは一九一〇年代から三〇年代にかれてだらうが、当時、『中央
公論』と『改造』は政治と経済と文学の雑誌だった。・・・
 近頃の綜合雑誌しか知らない読者はけげんに思ふかもしれないが、永井荷風と谷崎
潤一郎の主要な作品はほとんど『中央公論』に発表されたし、志賀直哉の『暗夜行路』
は『改造』、島崎藤村『夜明け前』は『中央公論』に連載された。」
 こうした基準にてらして現代の「綜合雑誌』というのを思い浮かべてみても、ほとんど
思いつきません。丸谷さんは『文芸春秋」をあげていますが、ほかはどうでしょう。
「世界」などもそうなのかな。
 いまは亡くなってしまったものですと筑摩書房からでてました「展望」などは、いか
にも丸谷基準による「綜合雑誌」らしいものでした。当方が、上林暁さんの作品を
読むきっかけとなったのは、「展望」でしたし、太宰治賞の掲載で新人作家の発掘にも
力を入れていました。宮尾登美子さんの不思議な作品を見たのも「展望」でしたね。
 筑摩書房は、なんとかこの雑誌を復刊させたいのでしょうが、失敗できないという
ことからなかなか具体化しないのは、残念な限りです。すくなくとも「綜合雑誌」が
再び脚光を浴びることはなさそうであります。