粕谷一希「東京あんとろぽろじい」

 先日の毎日新聞読書欄には、編集者としての粕谷一希さんの三冊というのが
ありまして「萩原延壽」「永井陽之助」「高坂正堯」の著作があがっていました。
編集者としては、「彼らの識見と才能に着目して執筆の場を与えた」とありました。
これは中央公論社に在職していた時代のことです。中央公論社綺羅星のごとく
すぐれた人がいたのですが、途中でやめて作家になった人もありました。
中央公論は、粕谷さんにいわせると嶋中家支配と活動家をそろえた組合というのが、
両刃のようになっていまして、結局は、それが会社が立ち行かなくなる原因であり
ましたでしょう。結局のところは、嶋中家の番頭サンのような人が代表者となって
粕谷さんなどは会社を離れることになったようですが、ある人の本を見ましたら、
よくぞこのダブルバインドのなかで難しい舵取りを行ったものと粕谷さんのことを
ほめておりました。
 「東京あんとろぽろじい」というのは、粕谷さんがサンデー毎日に連載していた
コラムを一冊にしたものであります。小生は、ちくま書房からでたこの本を、うんと
やすく購入したものですが、連載していたコラムをテーマ別に再構成したなかには、
「友情空間」という章がありまして、ここでは、林達夫、安東仁兵衛、竹山道雄
さんなどが取り上げられています。このなかで、この人のことをもっと知りたいと
思ったのは文芸誌「海」の編集長でありました「塙嘉彦」さんのことです。
昭和十年生まれで、45歳で亡くなったとありますので、昭和55年(1980年)に
でした。この人が亡くなったことは、すくなくとも中央公論社にとっては影響が
大きかった。この人がどのような存在であるかというと、粕谷さんは次のように書いて
います。
「 編集者として任せ切ることのできる部下が存在することは幸福なことである。
 私は塙嘉彦という年若い編集者に学び、かつ、もっとも刺激的な対話を重ねつつ、
 編集生活をおくことのできた日々をいつまでも忘れない。」
 「親に先立つ不幸というが、不幸は親に対してだけではない。順序をたがえて
  若い者が先に死ぬことは、友人、知人、先輩に対する背信行為である。
  塙嘉彦君はいまだに発揮しない才能と多くの記憶を秘めたまま去った。歴史とは
  つねにそうした欠損物なのであろう。」

 中央公論社を退職した粕谷さんは、その後「東京人」の編集者となるのですが、
なんとんなく、生涯一編集者という趣であります。