東京は坂の町

 本日の仕事帰りに、本屋によりましたら、「東京人」4月号が
眼にとまりました。この特集は「東京は坂の町」でページを開くと
特集のあたまで小沢信男さんの文章がありまして、しかも近影つきと
即刻で購入を決定したのです。ハイカラな都会のじいさまという
感じでありまして、このスタイルは小生もまねをしなくてはいけません。
小生はふたまわり下のうさぎ年でありますので、本来でありましたら、
もうすこししゃんとしていなくてはいけないのでありますが、この
上野の坂道の小沢さんの隣にたちますと、ほとんど国民学校の同級生に
しかみえなかったりして、いかんいかんです。
 小沢さんといえば谷中の人ではありますが、別に谷中だけしか語れ
ないわけではないのですから、違ったところにしてもよろしいのにね。
東京の坂道で、小沢さんで谷中というのは、あまりにも定番すぎて、
小生には物足りないことです。
( まあ、雑誌を売らなくてはいけないので、しょうがないか。)

 小生にとっての一番なじみの東京の坂道は、なんといっても2年間
住んでおりました目黒の権之助坂ですね。ちょうど大鳥神社のすこし上の
ところにアパートがあって、仕事にいくときは、日々目黒駅まで権之助坂を
のぼり、国鉄で麹町の職場までかよっていたのでありました。夏の暑いとき
には、この坂をあがるだけで汗でびっしょりになったことを思い出します。
 家人は、買い物にいくときにお不動さんの下にある商店街へといっていたの
ですが、青木昆陽のお墓のあるところから、だらだらと下がっていくと、
やつめ鰻を食させる小さな鰻やさんもありました。
 この権之助坂あたりについては、この号では堀江敏幸さんが書いているの
ですが、ウェストのケーキや隣にはライオン歯科があって、ここには、豚児が
治療で通っていましたです。そのまた近くには映画館があって、ここでは
ドラえもんの映画をやっていたのを思い出します。
 目黒駅は品川区にあって、すぐ近くには、丸谷才一さんがお住まいで、
自宅近くの坂を、さんま坂とネーミングしたと記していましたが、これは
かってのE電というのに似て、ほかの人の口からはでてこないようです。