昨日に話題にした津野海太郎さんの「追悼・小沢信男さん」(朝日新聞読書
欄に掲載)には、次のようなくだり(「東京骨灰紀行」に関して)がありです。
「2001年、七十四歳の小沢さんが親しい編集者とつれだって、地下に埋まる骨
灰を目じるしに、両国、日本橋、千住、築地、谷中、多磨、新宿、ふたたび
両国と、東京の地を歩きはじめ、まる八年かけて、この力作を書き下ろした。」
この親しい編集者というのが、長嶋美穂子さんこと奈々福さんでありました。
「東京骨灰紀行」のあとがきで、小沢信男さんは、次のように書いています。
「長嶋さんには旧著『あの人と歩く東京(1993年)の編集いっさいを手掛けて
いただき、ほかにもなにかとお世話になり、文筆の仕事は、つくづく編集者と
の共同制作でありますなぁ。このたびも、全行程をまず長嶋さんにご同道いた
だきました。発端は平成13年(2001)でしたから、まるまる八年かけて八章を
書いた。」
小沢信男ファンにとって、長嶋美穂子さんの存在は大きかったのであります
ね。そして長嶋さんというか奈々福さんにとっても小沢さんの存在は大きかっ
たと思うものです。そういえば、奈々福さんの小沢さん追悼は、どのようなも
のであったかなと、Twitterで再度確認をすることにです。
小沢信男さんにはどれほどお世話になったか。東京で人が沢山死んだところを
経めぐって、一緒に歩きました。『悲願千人斬の女』の浪曲化をとても喜んで
くださった。昨秋の通し公演のとき「今生のお別れをあなたに言っておきます」
と言われました。昨日、お別れをしてきました。https://t.co/nZSIPijty5
— 玉川奈々福 (@nanafuku55) 2021年3月7日
3月7日に奈々福さんは上に引用したのにつづいて、7日にあと二回のツイート
をしていて、これが小沢さんへの追悼となっています。そのうち、どこかでまと
まった追悼文を発表してくださるかもしれません。
ちょうど、小沢さんが亡くなった日に、奈々福さんは新著のあとがきを書いて
いらしたようで、先日に図書館から借りたその本のあとがきには「2021年 新暦
のひなまつりの日に」とありました。
なんとも不思議な符合でありますこと。
本日に玉川奈々福さんのTwitterを見ていましたら、澤田隆治さんがお亡くな
りになったとありました。なんとも惜しいことであります。