小沢信男さんが亡くなったと知って、あれこれと思いだすことであります。
今朝になって新聞で訃報を知った息子たちからも、亡くなったと聞いて驚いた
との連絡がはいりました。その昔、東京に住んでいた頃に、息子たちも小沢
さんに面会して顔見知りになっていました。(そのわりに小沢さんのものを
読んでいるという話は聞こえてこないことで。)
そもそもこのようなブログを始めるにいたったのは、この場を使って小沢信男
さんの書いたものなどのことをメモして、すこしは宣伝につなげようと思ったの
であります。今から14年も前のことで、今よりももちょっとネット環境が静かな
時代でありました。
2011年には、ほとんど一年間かけて小沢さんの著作を話題にしていたのですが、
それもまるで中途半端になってしまいました。もともと小沢さんが自分のことに
関しては、あまり関心を持たない人でありまして、積極的に年譜とか著作目録を
作成しないのでありました。
これまで何人かの人が、小沢さんにアプローチして形になりかけたのですが、
それも実らずでありました。小沢さんのウィキペディアの記載がもの足りない
のは、そうしたことが影響しているのでしょう。
小沢さんについてのあれこれは、これからの当方の宿題となりましたです。
当方が2015年の桜の時期に、ご自宅のお近く谷中霊園の桜の下でうつした
小沢さんごきげんの一枚を添付して、小沢さんのご冥福をお祈りします。